離婚届を提出して、いよいよ離婚して、本当のお別れだ

離婚したのは既に手続き上は夏に完了しているが妻子の引越先が無いので今の賃貸じ住宅にこの年齢で不本意ながら母の経済援助してもらいながら住まい続けてきたが今月初旬に父が逝去したことで、援助継続不可能になり、10月21日に僕は実家の奈良に戻る決定をした。いよいよ本当のお別れだ。自由になれる!元妻(8月に既に法律上は離婚している)の僕や僕の両親への依存もこれで終了!身体はまだまだ不自由がつづくけど、自分の経済や心はやっと解放され自由だ!また、このブログは実名で公開しているが、前アメブロの際には某ビジネスパートナーから実名で公開ブログはビジネス上問題があるからという理由で仕事を依頼出来ないと言うので削除したが、それはおかしいと思う。僕が約8年間かけて書いた記事およそ2000記事というものは10年前の脳出血になり障害者なって以来の大切な闘病記録でもある。それら約2000記事の削除がどれほど辛いものか分からない人なのだろう。それにあまりにもプライベートに土足で立ち入り過ぎだと思う。このブログもかつてのアメブロ2000記事をアウトプットして、インポートしたのでかろうじてその記事のほとんどが残せたけど、もう実名を削除する気はない。なぜならこのブログの問題は僕の課題であってそのビジネスパートナーの課題ではないからだ。アドラーに言わせるなら課題の分離ができない大企業に「依存」してきたに過ぎない人なのだろう。それにビジネスパートナーとはいっても、その会社の社員としてクライアントにも紹介するようだったので、それなら社内の個人の問題が会社に影響を与えるなんて、社長としての器が小さいと思う。というよりたかが社員の個人的なことで経営に影響が出ると考えているようでは大したことは無い。少なくともその次ビジネスパートナーよりは僕の方がはるかに経営者の経験は長いそんなことでは多分会社経営はうまくいかないだろうと思う。そんな課題の分離ができない人と無理に付き合いをする必要もない。なぜなら自分の「自由」が脅かされるからだ。このブログがそのビジネスパートナーのビジネスの問題になるなら、それはビジネスパートナーの課題であり、僕の課題ではない。僕がのビジネスパートナーのビジネスの問題によって実名公開を不本意にも止める事はそのビジネスパートナーの人生を生きている事になってしまう。それはあのアドラー哲学に反することであり、自分の人生を生きていない事になる。だから、これからは自分の人生を生きる!そのため誰から言われようとも実名公開は絶対に止めない。たとえそれが僕にとって経済的損失になったとしても自分の人生を生きる!

ネット上で見つけた素敵な詩(ポエム):【証拠】

最近ネット上で素敵な詩も見つけた。

題名は【証拠】


こんな詩(ポエム)だった

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喧嘩するのは一緒だった証拠

怒るのは真剣だった証拠

つまづくのは前に進んでいた証拠

裏切られるのは信じていた証拠

疲れたのは頑張っていた証拠

失敗したのは挑戦した証拠

「もうやめようかな」は希望を捨てていなかった証拠

「もういい!」は全然良くない証拠

「大丈夫!」は全然大丈夫じゃない証拠

よく笑う人はよく悲しみよく泣いた証拠

よく大丈夫という人はよく無理をする人の証拠

幸せな人は辛さを知っているから
優しくなれる証拠であり、強くなれる
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心を前向きにするために

前にも書いたけど、僕が心を前向きに生きるために唱える言葉・・・

どこで覚えたか、身につけたかもう定かではないけれど・・

初心に戻るためにもう一度書こう・・

その前にここ2、3日で新たに知った心を強くしてくれる言葉に出会ったので

それを先に書こう

以下だ

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Khong co viec gi kho,

難しいことは何もありません

Chi so long khong ben,

ただ挫けることを恐れなさい

Dao nui va lap bien,

山を切り開き海を埋め立てる

Quyet chi at lam nen.

強い意志が必ず実現させます。

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これはなんと

あのベトナムの革命家(故ホーチミン主席 1890~1969)の言葉だ

ホーチミンと言えば。共産主義扇動者、ソンミ村の虐殺・・等々悪いイメージしかなったけれど

こんな事を言っていたとは、、

あらためて見方が変わった

表面的な行動では人の心はわからないものだ・・





で話は元に戻して僕のために僕が唱える言葉・・



努力をした者が必ず成功するとは限らないが、成功した者はすべからく努力していた。

「努力」より先に「成功」が出るのは辞書の中だけ。

なぜ迷うか。地図がないからじゃない。無いのは目的地なんだ。

結果の無い自信は過信。

等身大の自分を認めること、つまりそれが自信。

あなたが無駄にすごした今日一日は、昨日死んだ人が生きたいと切実に願った一日。

生きているときに楽しかったら、死んだあとも楽しんじゃないかな。

高望みするな。他人を見下すな。


上を見ても下を見ても首を痛めるだけだ。

人生の分岐点で、どっちが幸せになるかではなく、

どっちで幸せになろうと考えろ。

諦めることはいつでもできる。

だけど諦めないことは今しかできない。


凡人は「明日からやる」と言う

少し賢い者は「今からやる」と言う。

だが、今からでも遅いのだ。賢人は昨日から始めている。



何事も成さないには人生はあまりに長いが、何事かを成すにはあまりに短すぎる。


生きるとは呼吸することではない。行動することだ。


努力する者は希望を語り、怠け者は不満を語る。


なぜベストを尽くさないのか

失敗は恥ずかしくないが、志が低いのは恥ずべき。

何が正しくって何が間違ってるかのかはわからないけど、

自分が正しいと思うことを貫くことは間違ってないと思う。


チャレンジした上での失敗を誰が嘲笑えようか。

約束された成功は、ただの作業である。

全てが失われようとも、まだ未来が残っている。


学べば学ぶほど、自分が何も知らなかった事に気づく

気づけば気づくほどまた学びたくなる。

間違いを犯す自由が含まれていないのであれば、自由は持つに値しない。

明日からがんばるんじゃない。今日をがんばり始めた者にのみ明日がくる

他人の幸福をうらやんではいけない。

なぜならあなたは、彼の密かな悲しみを知らないのだから。

勇敢な人間は自分自身のことは最後に考えるものである。

何をするかは問題ではなく、どんな風にするかが問題だ。

人生の大きな目的は知識ではなく行動にある。

いちいち人をうらやんだりするな。

その人と完全に同じ人生を送った者、つまりはその人自身にしか苦楽は分からない。

頭で理解できることに価値はない。

困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、

そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。

道を知っていることと実際に歩くことは違う。

友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。

正しいときにはだれだって味方になってくれる。


人生は全て次の二つから成り立っている。

したいけど、できない。できるけど、したくない。


自分の考えたとおりに生きなければならない。

そうでないと、自分が生きたとおりに考えてしまう。


道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である


私は私の意見を述べる。それがよい意見だからではなく、私自身の意見だからだ

思った通りの人生ではなかった。

しかし、よかったとなら言える人生だったかもしれない



私は常に学んでいる。墓石が私の卒業証書だ。

チャンスは貯蓄できない。


この世には、勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある。


人間死に方は選べないが、生き方は自由。




他人と比較して、他人が自分より優れていたとしても、それは恥ではない。

しかし、

去年の自分より今年の自分が優れていないのは立派な恥だ。


赦すという事

山本周五郎の言葉だけど、

「赦すというのは難しいけれど
もし赦すとなると限度が無い
ここまでは赦すが、ここからは赦さない
ということがあるならば、初めから
赦していないのだ」

その通りかもしれない。
だから「赦す」なんて
軽々しく言うものではないのではないか


思うがままににならぬ事を・・

思うがままにならぬ事を

思うがままにしようとして
思うがままにならない事が
 
 
ご存知の方であれば
よく分かられている事でしょうけど

これはあの釈迦が言ったと
言われている人間の「苦しみ」の事を
指す言葉です。

この言葉が今の僕に
痛い程分かるような気がする

思うがままに動かないこの身体を
思うがままに動かしたいと思い
苦しんでいる。

思うがままにならない人間関係を
思うがままにできないから
僕はきっと苦しんでいる

釈迦の言う思うがままにならない事とは

「生、老、病、死」

だけれど
人類も科学の力でなんでも
思うがままにならないでいる

地球温暖化や自然災害
今回の大阪で起きたような地震
なども(思うがままに?)予知しようと
しても、どうにもならない

病気なら癌なんかも必死で研究して
思うがままに治療しよう
としているけれど
結局助からない。

最近なら、アンチエイジングなどと言って

若々しく元気に老いる事が
素晴らしい事と言わんばかりに
無数の健康食品や健康法が
溢れているけれど
結局皆老いる。
「元気に」老いる人なんて
いるんだろうか?
少なくとも僕の周りの人達は
老いると、必ずと言って良い程
病や身体の不具合に苦しみ
やがて必ず死んでいくではないか

そんな思うがままにならない事だと
知る事が苦しみを無くす為に必要だと
言うけれど、
何とかしたいと思うのも人間だと思う

僕の脳出血の後遺症の
半身不随や疼痛や強烈な痺れ、、

何とかしたいと思いもう10年近く
リハビリをしているけれど
ほとんど何も変わらない
だから未だに苦しんでる

それが人間なんだろうな
ただ、なるがままに
因果応報に従って生きて
死ぬんだろうな



頑張れば頑張るたけ甘えるだけ、、

今日やっと理解した

こんな身でも頑張れば頑張る程

周囲が支援をしてくれる

と考えてきた。

でもそんな考え方は間違いだったのだ

とやっと悟った

正しい
というか真実は

こんな身体で

頑張れば頑張る程

皆、

支援どころか

皆、
こんな障害者に

甘えてきて

私自身の負担が

重くなるだけなのだ。

皆 怠けたいだけなのだ。

そんな単純な人間の本質を

今ごろやっと気付いた