困難な状況になって、初めて誰が敵だったのか、誰が味方の顔をしていたのか
そして、誰が本当の味方だったのかわかるものである
この言葉にが、誰の言葉だったのか知らないけれど、
この年になって痛感する言葉である。
実際のところ、本当の苦境になったとき、八方塞がりになり、絶体絶命という状況になったとき、ほとんどの、いや99%の人は保身に走るものだ。それは真実だと思う。
人間誰しも自分のみがいちばん大切、それは本能だから仕方がないと思う。
しかし、僕が問題だと思うのは、そんなとき一言で良いから
申し訳ない、君にはついていけない、ごめんなさいといったような
一言が欲しいものだ。
しかし残念ながら、順調な時にいわゆるきれいごとを言っているような人に限って
そのような苦境に立ったとき、なんにも言わず、それどころかこちらを罵倒して
この苦境はあなたのせいだと言わんばかりに、自分の責任は全くないと言って言い逃れをするように逃げるように、足で砂をかけるように踏みつけるようにして逃げていくような奴がいる。これは現実だと思う。
そしてこれはビジネスパートナーだけではなく、いわゆる人生のパートナーにおいても
同じことだと思う。
僕自身はその人がどんな人かを判断する1つの基準として
自分が間違ったときに、素直に、ごめんなさいと言える人かどうか
そして自分は不始末をして世話になったとき、素直にありがとうと言える人かどうか
といった所を見るようにしている。
いざというときに、逃げてしまい、裏切る人に限って、ごめんなさいとありがとうという言葉を本当に言わなければならない時に言うことができないものだと
ぼくは思っている。
このような言葉あくまでも僕の経験上からだけど、
少なくとも、僕にとっては絶対の真実なのだ。
(人生のパートナーとしても、ビジネスパートナーとしても)
本当の友と言える人とは素直にごめんなさいとありがとうを
言える人だと思っている。
振り返って、今回のアメリカの大統領選挙を見たとき
あのトランプは確かに暴言を吐いているけど、ビジネスでは成功している。
ビジネスで成功している限りは周りから信頼されているからこそ
成功できているのではないだろうか。
そういう意味ではパートナーとして一緒にやっていける人物ではないかと思っている
あの暴言も本音を言っているが、後から間違っていたとわかれば
彼は素直に間違っていたと言える人間ではないだろうかと感じるのだ。
あくまでもこれは僕の主観での判断だけれど、
これからどのような政策ができるのか見ていたいと思う。
見