覚 悟・・

昨夜、夢を見た

どこかの南の島のリゾートホテルの

プールだったような気がする

でもそのときの僕は

プールがあっても

以前ように泳げなくなってしまった自分


そう、まさに今の片麻痺の僕だった

何を誰としゃべっていたのか

覚えていないけど

そのプールサイドの椅子に座って(パラソルはあったかな?)

しゃべりながら

「もう一度以前のように泳げたらなぁ」と

思っていた。

脳出血以降、これまでの夢で、

はじめてハッキリと自分が障害者であることを

自覚していた夢だった

やっと6年経って、

自分が障害者であることを

潜在意識が認めたのかなって感じた。

6年の歳月を経過してはじめて認めたのかもしれない

認めたというより

残りの半生をこの身体で生きていく覚悟が

できたのかも知れない

よく医者の言う障害受容ってやつかもしれない

そう考えると

障害受容って

「受け入れる」なんてことではなく、

覚悟が決まる事なのかもしれない

受容なんて言葉を使うから

変に「受け入れるなきゃいけない」

なんて必死になるけど

そもそも「障害を受け入れる」ってどういうこと?

って

以前から不思議に思っていた

それがようやく分かったような気がする。

それは「この身体で生きる覚悟」なのだ

そう思った。

だから仮に障害受容って言葉を使うとして

その障害受容ができたからと言って

楽になる

つまり、不自由がなくなったり、

痛みがなくなったり

そして

そのことによる

苦しみが消えるわけでもない



逆に

そんな

不自由や

痛みや

苦しみをこの先ずっと消えず

耐えて、抱えて生きるんだ

っていう覚悟


そういう覚悟ができることを言うんじゃないか

と思う

僕は6年経ってようやくその覚悟ができ

この身体で生きる自信

つまり

ここ先ずっと不自由に耐え続ける自信

痛みやしびれに耐え続ける自信

そして、そのことによる苦しみに耐え続ける自信

そんな自信がこそが覚悟できたことであり

いわゆる医学用語の「受容」ってヤツかもしれない


そう思えば納得ができるからだ。

だから僕も6年この身体で生きてきて

やっとそんな自信ができてきたのかも知れない


決して不自由も消えない

決して痛みも消えない

そして、

決して苦しみも消えない


こそれもこの先きずっとだ・・

それでも耐えて生きれるって思えるかどうか

だと僕は思う。


その覚悟は戦場で飛び交う銃弾の中に

突っ込んでいくというような覚悟とは

全く異質のものだけれど、障害者や難病の人にとっては

重い覚悟だと思う



そういうものだと理解した上で

医者は「受容しなさい」と言っているのだろうか


そう考えると、障害を負って間もない人に

貴方は障害受容ができていないなどと

無神経に言う医者は何も分かっていない

んだってつくづく思う。

たかが数週間や半年足らずで残りの半生を今までより

多くの機能を無くした身体で生きていく自信なんて

できるわけがない

医者なんて本当は何も分かっていないと感じる






そういえば、最近水泳選手権とか

キューバダイビングのシーンをテレビで観ても

胸苦しくならない

先月のオーストラリアでもパンパシフィック水泳選手権なんかも

テレビで一所懸命、萩野とか応援してた。

発症当初の僕はプールも海も見るもが嫌だったのに・・・

これでようやく東京おオリンピックで

水泳の応援ができそうだ・・




考えてみればこういう覚悟って

身体の状態だけじゃないと思う

自分が置かれた(逃げられない)状況なども

同じだと思う

その状況でも生き抜くって覚悟が大事なのだと思う


例えば、過去の米国で奴隷の子供に生まれてしまった

自分の(自分ではどうする事もできない)過酷な状況

に置かれて、その状況でも耐えて最後まで生き抜くっ

て思えるかどうかで

その人の人生は大きく変わり、

実際にそう思えた人が人生を駆る変えることが

できたんじゃないかって思う


人間、覚悟が大切・・

覚悟のできない人生なんて

きっと

うろたえてばかりで、

知恵も出ず、

何もできなくなり

変えられるものさえ変えられず、

つまらない人生になるのではないか




と思った