壮絶な人生・・松下幸之助 かなわんな・・

松下幸之助。。。

僕が心の恩師というか

この方の言葉に幾度励まされたことか・・

僕が世界の尊敬する人物の3本の指に入る。

残念ながら現在存命中の方の中に

この方を上回る人はいないとさえ思っている。


それはパンソニック大企業を作り上げたという偉業だけではなく

生きざまそのものが

到底真マネの不可能な生き方だからだ

僕の父(父は昭和初期、大阪で丁稚奉公をしていた)の親方の元に

松下幸之助によく来ており、

父の親方が「幸ちゃん、幸ちゃん」と

可愛がっていたという話を聞いていたから

余計に親近感も感じている。(僕なんかにとっては雲の上の人だけど・・)

あの世界一の投資家のウォーレン?バフェットも

松下幸之助の壮絶な人生は世界に類まれな絶望から成功の感動の生きざまである

と言わしめたほどである。

もちろんPHP文庫から松下幸之助名言集などがたくさん出ているので

言わずと知れた「経営の神様」だということ

はほとんどの人は知っている

でも彼の幼少期の生い立ちを詳しく知っている人は意外に少ないと思う

僕がそれを初めて知ったのは4年ほど前に発売された

しかも米国人が書いた「幸之助論」と言う書籍を読んだときだ。


幸之助論


本当によく取材している、和歌山での幼少期から

9歳で大阪丁稚奉公に行く頃まで事細かにその生い立ちが

記述されていた。

僕はさすがに驚いた。

ウォーレン?バフェットじゃないけれど

これほどまでに壮絶な人生だったのか・・

と・・

そんな壮絶な人生を乗り越え巨大企業パナソニック

を築きあげながらも

おどろくほど謙虚なのだ・・

僕が驚いた典型的なエピソードがある・・


1975年(昭和50年)、小川守正と他の五人の事業部長が創業者との昼食に招かれた。

この時すでに幸之助は「タイム』の表紙を飾り、日本における所得税納税額で

例年トップを占めるようになっていた。小川は「大御所」との接触がほとんどなかったので、

興奮と一抹の不安を抱えながらその昼食会に期待していた。

昼食の席は大阪のあるレストランに用意されていた。

正午を少し回ったところで六人が勢揃いした。

簡単な挨拶と歓談の後、りながら、ビ!ルを二杯飲んだ。ステーキが振る舞われた。

幸之助は会社の仕事と歴史について語他の六人全員がステーキを食べ終えた時、

幸之助は小川のほうを向いて

これを調理したコックを呼んできてほしいと頼んだ。

「庖長ではなくコック長だよ」

と彼は念を押した。

その時小川は、幸之助がステーキを半分しか食べていないことに気づいた。

小川は深刻な事態が起こりそうだと覚悟を決め、コックをテーブルまで連れてきた。

自分を呼びつけた客が非常に重要な人物であることを知っていたので、かしこまっていた。

「何かお気に召しませんでしたか」とコックは恐る恐る尋ねた。

「ステーキをせっかく焼いてもらったけれど」

と幸之助は言った。

「私は半分しか食べられなかった。まずかったからではない。たいへんおいしかった。

しかし、ご覧のとおり、私は八O歳で、もう昔のような食欲はないものだから」。

コックと他の五人は怪詩な顔を見合わせた。いったいどういうことなのか・・

いったいどういうことなのか・・・

理解するのにしばらくかかった

「あなたを呼んでもらったのは」

と幸之助は続けた。

「半分食べ残したステーキが厨房へ戻ってきたのを見たら、

気にするのではないかと思ったからです」



これこそが松下幸之助の気遣いであり、偉大さであり、謙虚さだと思う。

他の「成功者」になかなか真似のできることではないと思う。

真に身体からにじみ出てくる偉大な人間性

というのはこういうときに出てくるものなのだろうと思う

これも幼少期からの壮絶な人生を「謙虚に」乗り越えてきたからできることなのだろう

かなわんな・・こういう人間がいたなんて

ヘンリーフォードとも違う

岩崎弥太郎とも違う

渋沢栄一とも違う

ロックフェラーとも違う

ヘンリーフォードとも違う

もちろんビルゲイツ


ティーブンジョブスとも全く違う

全く異質な大偉人だと思う。


そして日本人として誇りに思う。

そんな松下幸之助の生涯と名言をうまくまとめたYOUTUBEを見つけた

だれが作ったのか知れないけれど・・ポイントをついているな

ときどき観ようと思う

松下幸之助の生涯】


松下幸之助の名言】



到底真似はできないけど、

爪のアカだけでも煎じて飲みたかったな・・笑

毎週1回の通院リハビリのときに旧松下幸之助邸の横を通る・・

そのたびに、、この人にはかなわんな・・と思うのだ








幸之助論