「死」より「死までの過程・・」

最近、やっと気が付いた・・

僕は障害者として今を生きることは、

正直「苦」そのものである

それがどんなに金銭的、経済的に恵まれようとも

この「苦」は変わらない

だから・・死にたいと何度も思った

でも死を選択しなかった

というかできなかった

以前、

「死ぬこと」より苦しい「生きる」があるから

死にたい

などと書いたことがあったけれど


でも今頃、それは違う

ということに気が付いた。



やっぱり

「死」は怖くないが

「死ぬこと」は怖いんだ


ということに気が付いた

それは、


先日、あの東日本大震災の翌月に

石巻に海水の飲料水化装置の

稼働状況の確認に行ったときのことを

ある人に話しているときのことだ。





ふと

津波で亡くなった方々が

どうやって亡くなったのか

考えてしまった

その想像をしたときだ

あの3月11日というまだまだ寒い

そして冷たい海水・・

そして真っ黒な泥水の海水が

口の中い入ってきて・・

息が出来ない・・

苦しい・・

でも誰も助けてくれない

そして溺れて死を迎える

この状況は「死」ではない

死に向かう「生きる苦のさなか」だと思った・・

僕もそれはイヤだ・・

と思った

結局、死ぬためには

そのような「苦の過程」を

通りぬけ」なければならない

のではないか

それがどんな死に方であっても・・

だとしたら、

その苦は

今僕が感じている障害者として生きる苦より

辛いかどうかは分からない

だから踏み切れなかったのかもしれない。

もし、その過程がなく

「死」に到達できるのなら

もう今頃僕はいないかもしれないな・・

結局・・

死より「死までの過程・・」の「生きる苦しみ」が

怖いのだ。

そんなことに今更気が付いた・・