反社会的勢力・・

太陽光発電に関わってみると

土地が必要になるため

不動産関係の業者と関わりが多くなる

僕はこの業界のことは全くの素人だったけど

実は先日ある不動産関係の人が反社会的勢力と

の繋がりがあるかもしれないからどうする・・

という話になった・・・

この業界・・バブルの頃に地上げ屋とかしていた輩は

反社会的勢力との繋がりがどうしてもあるみたいだ・・

つまヤクザとの繋がり・・

もちろんそんな繋がりがあるのなら

取引はごめんだけど・

つい先日も、あのみずほフィナンシャルグループ

反社会的勢力に融資していた疑惑で話題になった。

僕が興味を持ったのは

なぜ

そういう反社会的勢力というものができるのか?

ということだ

つまり

なぜ

ヤクザになってしまう人がいるのか

そういう人はどういう人なのだろう・・という疑問だ

考えてみた・・

不遇だった人?

不遇な人生だったから、

その不遇な人生の世の中(社会)を怨み、

反社会的になる?

でも・・

不遇だった人が

必ずしも反社会的になるとは限らない

あの松下幸之助だって、幼少期の頃

松下幸之助の幼少期の頃の記録はあまりないが

唯一、アメリカ人が取材徹底取材して

書いた書物「幸之助論」によると

松下幸之助の幼少期は

そのあまりの不遇さに

不遇の極みの人生だっことの驚く・・


後年も幼少期の頃の話は(よほど辛い思い出なのか)

ほどんど誰にも話さなかったという

それでも

偉大な松下電器産業を築き上げ、

経営の神様と言われるまでになった




不遇・・で

社会を怨み反社会的になる人と

そうでなく

(全く逆に)偉人となる人の違いは何だろう・・

どこにその岐路があるのだろう

ということに

今、興味を持っている

僕自身、脳卒中で倒れ、会社を潰し、身体機能も失い

思わぬ親族間のトラブルに苦しんだ

不遇といえば不遇かもしれない

でも

反社会的にな気持ちになりそうになったなんて

一度もない

僕は不遇は不幸ではないと思っている。

不幸だと思うと苦しい

不幸だと思うか思わないかなんて、気持ち次第だと思う。

例えば、

その日の食べることさえ苦しい生活を

しなければならなくなると不遇な人生?

ではアフリカのサバンナで一日狩りをしても獲物が捕えらることが

多々あり、しょっちゅうひもじい思いをしている原住民たちは

そんな自分たちを「不幸」だと思い

この世の中を

この世界を怨んでいるだろうか

いやむしろ幸せさえ感じているのではないか


不幸・・って

それ現象や状況ではなくて

結局、人の心のことに過ぎないのではないか

その現象や状況を不幸と思えば不幸だし、

幸せだと思えば幸せになるだけではいないか

だとしたら、不遇を不幸と感じ、

社会や世の中を怨む心が生まれる人と

そうでない人との違い何なのだろう・・

やっぱりこの疑問だけは解けない・・




少なくとも僕は脳出血は不遇だったかもしれないけど

その後の人生はそれれまで以上の幸せを感じている。

もちろん腹立たしいこともたくさんあったけど、

逆にそういう事が

自分の心の器を大きくしてくれたことに今は感謝している