順調が怖い?

ついさっき、

前の記事で、今、順調な事が怖いと書いた

でも、いきなり覆すようだけど、

順調さが崩れる事が怖いのでは無い事が

よくよく考えて分かった

これまで、

僕は障害者となった苦しみから

抜け出すために、

障害者でも人の役に立つ人間なりたい

という思いから、

その具体的な目標(志)として、

再生可能エネルギーの普及活動

というものを持ってきた。

更に、経済的にも豊かになることも

、苦しみから逃れる術のひとつでもある


とも考えて自分なりに頑張ってきた。

それは僕の信頼する仲間の一人が

いつも、

世の中、ほとんどの問題はお金で解決できる、、

なぜなら世の中は資本主義社会だからだ



しきりに

僕に言い聞かせていたこともあるから・・


そして僕は自分なりに必死の思いで

「この苦しみから逃れるため」

と思い

走り続けてきた

そして、今年に入って予想外にも

順調に進み始め出した

しかし、実際に順調に進み始めてみると

あることに気付き始めてきたのだ

それは・・・

たとえ

人に役立つこととして、

再生可能エネルギーの普及の

実現に貢献できたととしても

また

たとえ経済的にに豊かになったとしても

この障害の苦しみは決してなくなるものではない

ということが

(そんなことは分かっていたはずなのに)

分かってしまう事が

怖いのだ!


それをあらためて思い知らされることに

恐怖を感じているのだ

ということに気が付いた

結局、どんなに頑張っても

何をしても

この苦しみから逃れることはできないのだ

そのことをあらためて思い知らされることに

恐怖を感じている


そう考えると

生きていること自体「苦」である

とあらためてあらためて思う

結局、

釈迦の「真理の言葉」通り


生きることは苦そのものであり

その苦から逃れるためには

でき得る限り

自我を無くすことしかない

結局、

人の役に立ちたいという事さえも

苦しみから逃れるための我欲に過ぎない


そんなことにあらためて気付かされた・・


どんなに志や目標を達成しても決して苦から逃れることはできない・・と

まだ、志や目標を達成すれば

苦から逃れることができると信じて

もがいているときの方が、実は幸せなのかも知れない



それは、まるで成虫を夢見て何年も土の中で耐え続け、

やっとのことで土の中から這い出し、

夢にまで見た木の上の登り、

思い切り「生きる」を謳歌できたと思ったら

たった7日で死の苦しみを

迎えなけれなばならない蝉のように・・

だからたぶん僕は生きている限り

この障害に苦しみ続けなければならないのだろう

そしてなにものも、何を達成しても、

この苦しみを癒すことはできず、

ただ、自我を極力無くすことだけが

唯一苦しみを多少和らげることができる術なのだろう