「生きがい」なんて・・実は邪魔なのかも・・

人間、生きるために、常に何か心の拠りどころがあって

「俺はこれがあれば大丈夫だ」

とか

「私はコレを目標にしている限り頑張れる」

とか

「生きがい」にしているものがあると思う。

じゃあ

その
「生きがいにしているもの」


がなくなったら

どうなるのか・・


きっと不幸を感じてしまう・・

例えば

子供を育てる事が生きがいという女性がいたとした場合

子供はみるみる成長し、家から出て行ってしまうと

張り合いがなくなって

寂しくなって不幸を感じてしまうようなことは

多々あるのではないだろうか


僕も健常者の頃は

ときどき南の島や海に行ってダイビングをする事を楽しみに

毎日の仕事が頑張れるとか

いつかきっとエジプト回りで紅海(レッドシー)に行って潜ってみたい

等々・・心の拠り所というか「生きがい」にしているようなものがあった


でも、

5年前見事にその

(勝手に)感じていた

「生きがい」を感じることができない身体


になってしまった

案の定、


僕は「不幸」を感じ、苦しんだ・・


そんなものさえ持っていなければ


苦しまなくて済んだのではないか・・


と思う

「これが僕の(私の)生きがいだ」などと


「こだわる」ことなんて

必要のないことかもしれない



だってそんなことは、

「絶対的」なものではなく

自分が勝手に決めた事に過ぎない

心の持ち方でどうにでもなるもの

ではないか

「こだわる」から

亡くしたときに苦しまなければならない。

どんなモノ「コト」でも

いずれいつかは

消え去るか

形を変えてしまったり、

できなくなってしまうのだから

そんなことに生きがいを感じてしまい、

「こだわる」ことなんて何の意味もない

ただのエゴ(自我?)に過ぎないのではないか

何にもこだわらず、

今目の前にあるその現実だけを見据えて

出来る限り「こだわり」を捨て

自分勝手に否定したり肯定したりしなければ

たとえこんな身体になっても

もっと楽に生きられる気がする。

そんな意味で

自分勝手に思い込んでいる「生きがい」

なんて

生きるために実はとても邪魔なものかも知れない

と思ったりしている。


僕だって、昔の夢?「生き甲斐」でもあった

いつかまた南の島に行ってダイビングをしたい


とかエジプト回りで紅海(レッドシー)に行ってみたい

という気持ちを持ち続けていたなら、

今も相当苦しんでいただろう・・


幸い僕はもうダイビングして海中を泳ぎ回たいなどという

この身体でできもしない事は

今いつの間にか(もう二度とできないんだ!)と何回も重い来苦しんだ事は確かだけど、

今はもうそんなことはやりたいなどと思わなくなっている(

考えないように努力してきたつもり)

やりたいと思って

できない

やれたのにできなくなった

と思うから

苦しむ

だったら

やりたいと思わなければ良いではないか

やれたのにできなくなった

と思うから

苦しむ

だったら

やれた記憶を

思い出さなきゃ良いだけじゃないか

思い出すから

やりたくなり

やれない自分に悲しくなり苦しむ

ただそれだけのことで苦しんでいる

今は・・

今僕のできることで目の前にあ

るできること、

楽しめること

に心を集中でき、

気持ちが充実できつつあるような気がしている

だから以前の僕には考えられなかったような

「読書」をし、例えば小説なら、その文章から

想像できる情景を頭に思い浮かべるだけで

充分生きることに満足できるようになるつつある・・

心の持ち方さえ状況に合わせ、臨機応変に変えさえsyれば

どんな状況でも悲観なんかせずに生きる事が出来るんだ

くだらない

自分勝手な「これが僕の(私の)生き甲斐だ!」なんていう

実にくだらない「こだわり」は

やっぱり生きる邪魔にしかならないような気がしている

いや、確信している