ゆっくり・・で大丈夫

僕は障害者になって変わったこと・・

別に役立たずになったわけじゃない

ただ何事もゆっくりになっただけのこと・・

そしてそれ(ゆっくりになったこと)が

大して大きな問題じゃない

そのことに最近初やっと気づいてきた



僕は元来せっかちな性格だった

それは生まれ育った環境の影響もあった

僕の父が大阪の船場の繊維関係の会社で

丁稚奉公した叩き上げの大阪商人だったこともあり

(小さい頃から)日頃から何かにつけて

セカされた経験から

自然と身に付いた性格だと思う

飯を食うことさえ誰にも負けない自信があった(笑)

父から「飯を食うのが遅い奴は仕事ができん」と

耳にタコができるほど聞かされてきたから・・

ちなみに僕の通っていた大阪の高校の近くに

餃子専門の王将で30分で10人前食べたら無料になる

という店があったけど、、僕は20分で平らげ

いつも無料にしてもらっていた・・苦笑



そんなこんなで

せっかちな性格になっていた僕だから

左身体半身使えなくなって

左側の物事がすぐにできないことに

苛立って、かなり苦しんだ・・

でも最近、すぐにできなくても大して

大きな問題じゃないことに気付き始めてきた

若い頃、これからはハイスピーマネジメントの時代だと

言われて、

何事もスピーディーにしないと企業競争に勝てない

などと思っていた頃もあったけど





今ではそんなことはないと思っている



「ゆっくり」でも充分勝てると思っている


そもそも1分1秒を争う事態なんて

そうそう無いことに気付いてきた

1分1秒を争う事態が起こるのは

「起こる」のではなく、

自らが「起こしている」事がほとんどだと

分かってきたから・・



こうやって走ることもできなくなり、

今キーボードを打つスピードも

健常者の頃の10分の1程度という

スピードの障害者なってみると


いつの間にか、このスピード以上は不可能という

前提に「前準備」や時間の余裕を取るようになり

そうすればいほとんどの事が急がなくても

何の問題なくできるのだ。


簡単な話、、、

電車の駅で僕は

いわゆる「かけこみ乗車」はできない・・

走れないのだから・・



そうなると十分な時間の余裕を持って駅に行くから

「かけこみ乗車」が必要な事態にはならない。

一事が万事同じであると思う。

ほとんどの「緊急事態」は

自らが起こしていると思う


だから最近の僕は何をするにも

かなり(相当)時間に余裕を持っているので

「ゆっくり」でも苛立つ事が少なくなったように思う

たまに東京は大阪に出て足早に歩く人々を見ると

なんでそんなに足早に歩く必要があるのかなって

思うようになってきている

それがかつての自分の姿だったにも関わらず・・







もちろん東日本大震災のときの津波が来たら

僕はあっさり逃げ遅れ、飲込まれるだろうけど・・

まぁそんなことは千年に一度

起こるか起こらないか分からない事だから

考えても仕方がない・・

それにしても最近南海トラフ地震を煽る連中(マスコミと自称地震学者という連中)

が腹立たしい・・

だって1000年に1度どころか1万年に1度起こるか起こらないか分からない上に

予測不可能なのだから・・

何の根拠で今後30年に南海トラフ地震が起こる確率なんて統計が出せるんだ?

自称地震学者は統計学を勉強してないんじゃないのかい?

ブツブツ・・