障害受容???

よく医療用語?で障害受容という言葉を聞く・・

ある脳外科医なんかは

障害を負った当初

精神的にも苦しんでいる僕に向かって

「あなたような状態を障害受容できっていないと言うけれど

本当は違うんですよ。。それは本当は障害認容と言うんです云々

くどくどと医療用語をのたまわっていた・・

くだらない・・僕は医療用語なんてどうでもいいんだよ バカ!

と心の中で思いながら聞いていた。。

要するに障害受容も障害認容も障害を受けれなければ、或いは受け入れれば、

精神的に苦しまずに済むから「受け入れろ・受け入れるように(努力)しなさい」

と言いたかったようだ・・・

でも僕は今になって思う

障害は受けれるものではなく、

乗り越えるべき対象だと・・

そもそも「受け入れる」ことなんて不可能だと僕は思う

未だに「受け入れる・受け入れられた」とはどういう状態の事か理解不能である

障害は一生続く自分の道を邪魔する高い壁・或いは崖のようなものだと思う

だからそんなもの「受け入れ」たら、
つまり運命だ仕方がないと考えることだとしたら

一生その壁、或いは崖は乗り越えられず、

前に進むことはできないことを意味するのではないか?

と思うのだ。

障害なんて、たとえ真の前の「障害」を乗り越えたとしても

次から次へと新たな障害にぶつかるものだ

僕自身そうだった・・

これができるようになった・・と思ったら

次にはこんな事もできなくなっていたのかと

新たな障害に次々にぶつかる

半身不随になって5年経過今でさえも

まだ気付いていなかった「こんな事もできなくなっていたのか」

という状況に出会うのだから・・・酷なものであると我ながら思う

だから

次々に現れる障害となる壁や崖に対しては

次から次へのと乗り越えてかなければならない

その闘いは果てしなく続くのだ・・

それは肉体的な障害だけでなく、

(たとえ相手が意図していなくても

)他人から受ける侮辱、屈辱といったことによる

精神的に苦しめられる事も含む・・


そんな「壁」とは闘い続け・・

乗り越え続けなければならない

医療者が言うようになんか言うように

「受け入れる」ことなんかできない

いや「受け入れて」はいけない

だって肉体的な障害も精神的侮辱・屈辱も

受け入れた瞬間にそこで前には進めなくなるから


だから障害は受け入れるものではない

乗り越え続けるべき対象だ



少なくとも僕は今、そう思っている

だから僕は今でも

少しづつでも前に向かって進む事ができているのだ

と思う


だから僕は絶対に受け入れない・・

僕だけでなくほとんどの中途障害者は

「受け入れること」なんてできていないと思う

たぶん一生、、

元の自分に戻りたい

と一生を終える最期の瞬間まで闘い続けていると思う

障害受容(認容でもどっちでもいい)なんて言葉は

医療者が手に負えないこの脳卒中の障害への対応のために

逃げのための医療者が作った言葉のように思えてならない・・