愛こそ悲劇の元凶?

先日書いた記事「絆なんて案外脆いのかも・・」に対する

コメントの多さに驚いている

誰しも、思い当たるふしがあるのであろう。

脆い絆・・による「悲劇」はなぜ起こるのだろうか

それは「絆」自身が弱いからではないように思う

逆に「絆が強い」

つまり「愛」が強いが故に「悲劇」が起こるのではない

愛・・

愛したい、

愛されたい

どちらも

心が「愛」に縛られてしまってしまうのではないか


ところが、愛したいけど、思うように愛せない

自分の気持ちに行動が伴わない

いろんな事情で・・・

例えば「介護」なんてその典型的なものではないか

痴呆症を患った親の介護

もちろん、親を愛している

でも

痴呆症なんかを患ってしまうと

日々の生活の中で

毎日、痴呆症による

(面倒で、世話のかかる。しかも手のつけようが無い)行動を

愛する親がして自分を困らせる

これが愛のないあかの他人だったら

放置できるんだけど

放置もできない

かといって、介護していると自分がパニックに陥る」くらい

手間がかかる

いらだつ、腹が立ってしまう

でも抜け出すことができない・・

もう心はパニックである

いつしか、そんな状況が 愛していたはずの相手への

「憎しみ」に変質する・・

「可愛さ余って憎さ百倍」といやつであろう

強い愛も、強い絆も両刃の刃ではないか

だから「溺愛」や極端な親密さは逆に悲劇の元凶にもなるのではないか

愛のない悲劇、

愛のあり過ぎる悲劇



人間にはあると感じる

ならばやっぱり周囲の人々とやたら親密になるのではなく

ひとり孤高に我が道を歩くことこそが

「悲劇」を産まない生き方なのかもしれない


だから「犀の角のように独り歩む」事が

大切なのかもしれない

愛は人の心に執着(執著)を生む

子への愛は子への執着(執著心を生み、

恋人への愛は恋人への執着(執著)心を生む


そんな執着(執著)心こそが

人間を苦しめ、

悲劇の原因にもなるのだろう

そして僕は過去の健常な頃の自分への

執着(執著)心があり、

そのために苦しんでいる、、、