犀の角のように独り歩む


釈尊の教えで有名なものに、「犀の角のようにただ独り歩め」というものがある

基本的な内容は、仲間を求めず、ただ独りだけで修行をしなさい、ということだ

(一部の抜き出し)
三六 交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。
    愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

三七 朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。
     親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

三八 子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに
   相絡(あいから)むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくこと
   のないように、犀の角のようにただ独り歩め。

三九 林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴(おもむ)くように、
    聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

四○ 仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに
   呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

四一 仲間の中におれば、遊戯と歓楽(かんらく)とがある。また子らに対する情愛は
  甚だ大である。愛しき者と別れることを厭(いと)いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

五四 集会を楽しむ人には、暫時の解脱(げだつ)に至るべきことわりもない。
   太陽の末裔(まつえい)(ブッダ)のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

六五 諸々の味を貪(むさぼ)ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、
    戸ごとに食を乞(こ)い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

七五 今のひとびとは自分の利益のために交(まじ)わりを結び、また他人に奉仕する。
   今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。
   犀の角のようにただ独り歩め


僕は今まさに犀の角のようにただ独り歩んでいる感がある。

それは誰も僕のこの障害の苦しみを理解できる人など存在しないなか

(理解できなくて当たり前なんだけど・・)

自分の見つけた目標というか志に向かってただひたすら必死で走っている感がある。

人からはは

もうその身体では無理だよ

とか

無茶だ、暴走だ

とか

言われるけれど、

僕はやらずにはいられない

誰も理解してくれなくても良い

協力がなくても良い

この身体でできる限りのことをやってみせたい

この気持ちは誰にも止めることはできない

そんな気持ちで行動しているから

当然、諍いもある

それでも自分を、自分だけを信じて

自分の信じる道を歩もうとしている。

そんな自分は確かに

「ひとり勝手に」独走しているのかもしれないけれど

孤独だとは感じていない。

それは自分という

最大の信頼できる「友?」が

いつも傍に居るからなのかもしれない