侮辱と屈辱こそ我が宝であるのかもしれない


僕は障害者になってから

(相手が意図しているいないに関わらず)

正直、数多くの侮辱や屈辱を感じてきた

でも今、振り返ると、、

そんな悔しくて悔しくて涙が出そうな侮辱や屈辱を感じた

自分があったからこそ今の自分があるような気がしている

こんな身体で再生可エネルギーの普及なんぞとい大それた夢を

持ったもんだから、それはできないことだらけ、、でいっぱいだった。

いろんな関係者にも怒鳴られたり、そっぽを向かれたりもした

その都度、侮辱や屈辱を感じてきた

でもそれが、僕の反骨心に火をつけ、エネルギーになったことも確かだ


そのおかげか、今では米国のソーラービジネスのデベロッパーに向け

50MWクラスのメガソーラーのEPCまで自分で設計し、引き渡し時期と

タイミングそれと引き渡し価格まで算出し、交渉するにまで至っている自分が

今ここいる。(今さっきEPCと提案書と交渉価格を書き終わったところ・・)

俺はまだ生きている!脳出血・半身不随になった元IT系社長の独り言




振り返ってみると・・・

こんなことができるようになったのも

僕の反骨心を引き出してくれた侮辱や屈辱のおかげではないかとさえ感じるのだ

そう思うと・・

侮辱と屈辱こそ、僕にとって宝ではないかとさえ思えてくる。。