生きさせらてれいる感

こうやって自分自身が障害者になってみると


如何に自分も健常者のころ、

障害者に対し無理解だったかが分かる


24時間1分1秒不自由で痛みと痺れに苦しむ・・


いや1年365日24時間1分1秒片時も隙間なく不自由で痛い・・


それが人の精神にどういう影響を及ぼすか


経験者でない限り、

理解できるものではないとは思う

だから、

理解して欲しいと望む方が

無理な望みであることも頭では分かっている

だけど、

何も分かっていないくせに


如何にも分かっているかのように

おかしな励ましや同情には腹が立つ



世の中の人は、

それでも生きなければならない

生きることは大切だなどと言う

何も分かっていない健康な人が言う

キレイ事にしか僕には聞こえない


そんな無理解の中を

ほとんどの障害者は生きなければならない

僕自身、、

僕とは違う障害者の苦しみは

理解できていない

自分が障害者になって

少なくとも自分が他の障害者の事を

ほとんど理解できていないであろう事だけは分かるようになった。



生かされている

ほんとそんな感じである


それでも、生きる事が死よりも

大切なのだろうか

今の僕にはそうは思えない。

なぜなら、、、

死ぬ事より苦しい生きる

という生きるがある事を知ったから・・



そんな生きさせられる人

世の中にはたくさんいる事を知ったから・・

でも

それでも生きよと

生きさせられるなら

どうせ生きさせられるなら

負けたくない

たとえ無理解の中であろうとも

負けず、我が道を進んでいきたい

たくさんのモノを失った

今の僕にはそれだけが

心の支えだから・・



でも

今でもときどき思う

もういいかな・・って

もう「お迎え」に来てくれないかなって・・

だって

いわゆる「生きる楽しみ」のほとんどを奪われた今、

どんなにお金を積んでもらっても

昔、健常者だった頃の「楽しみ」は二度と味わえない

例えば・・普通、皆が楽しみにする旅行・・

旅行なんて「移動」は僕にとっては苦以外の何者でもない

好きだった水泳も・・スキューバダイビングもできない

どんなにお金を積んでもらっても・・

同じようには泳ぎ回れない・・


変なは話だけど・・


お金を積んでもらって

どんな美女をあてがわれても

女遊び一つできなくなった身体・・

(いい年したどこやら政治家さんがどこやらの共産国

ニートラップにひっかったとういう噂を聞くけれど、

今の僕にはハニートラップは通用しません・・苦笑)

まぁそんな(普通の)人間の「生きる楽しみ」を

ほとんどを奪われてみると

不思議なもので

こんな身体でも人の役に立ちたいと不思議に思うのだ

そんな身体機能や精神状態で何ができるのか

と言われそうだけれど

確かにおこがましいかもしれないけれど


人の役に立つ人間でありたいと思う。。

たぶんこんな身体になったからこそ余計にそう思うのかもしれない

今、僕はそんな思いだけで動いている・・

ただの自己満足かも知れないけど


それでもいい、

どうせ生きさせられるなら

他人の評価なんてどうでもいい

自分自身が納得できる生き方をしたいと思う

これが僕の「生きさせらてれいる」感から来る気持ちである