主観を捨てる

徹底的に主観を捨てるように心掛けよう

主観こそ、無意味な「こだわり」や「執着」の原因であり、この「こだわり」や「執着」こそが苦の根源だと思うから

不必要な、自己満足の「こだわり」

この世に永遠の生など存在しないにも関わらず

持ってしまう生への執着


辛さから逃れたいゆえの快楽への執着

脳出血になり障害者になった事を今だに受け入れ切れない

いつまでも健康でありたかったなどという

存在もしない永遠の健康への執着

一生の内でもほんのいっときの状況にすぎないにも関わらず、

体力自慢の自分へのこだわり

そんな執着やこだわりがあるから

障害に苦しみ

不自由に苦しみ

痛みに悶え苦しむ

そんな不必要な、

こだわりや執着を捨てるために、

主観を捨てること

徹底した客観性に務める事

主観こそ、自我であると思う

客観的になるためには

痛いとき、苦しいとき

辛いとき、悔しいとき

怒りや悲しみに襲われとき、

「痛い!」と思う代わりに

「苦しい!」と思う代わりに

「辛い!」と思う代わりに

「悔しい」と思う代わりに

「腹が立ち、許せない!」と思う代わりに

「悲しい」と思う代わりに

「僕は(彼は)痛がっている」

「.僕(彼)は苦しんでいる」

「僕(彼)は辛い思いをしている」

「僕(彼)は悔しい思いをしている」

「僕(彼)は腹を立て怒りに打ち震えている」

と思い、考えるようにする

たったそれだけの事で、

苦によって、心が弱り、

荒みかけていた精神が

客観性を取り戻し、

心が様々な苦から解放され

結果として、智慧が湧いてくる

目の前の、やるべき事に、

たとえそれが、徒労のように思え、

苦敷く、辛い事であろうが

粛々と取り組む事ができるような気がするから

それはまるで、
舞台で「自分という役を演じる」自分を観客席から観ているように、、客観的に観るのだ

たったそれだけの事で、

心身の苦から逃れられるような気がするから、、

そして、

死を迎えるときさえも

「僕(彼)は死を迎えたのだ」

と思え、、生への執着を捨て

死への恐怖、悲しみという苦から

逃れられるような気がするから、、

そんな風になれたら

弱い自分も少しは強くなれるだろうに、

そんな風に強くなりたいから

そんな努力をしてみようと思うのだ