夢、希望、志、ロマン

「夢やロマンや希望だけで、飯は食っていけない! 現実はお金が全てだ」

というような言葉を誰しも一度は聞いた事があると思う

僕自身、このような言葉は資本主義社会においてはまぎれもない現実であり、

間違っていないと思う

確かにお金がなければ何もできないというのは現実である

でも僕は脳出血で倒れて障害者となって以後、

お金は必要だけど、お金が全てではない

それは決してキレイ事ではなく、

実感として、そう考えるようになった

僕の脳出血はもやもや病を起因とした高血圧が原因だ

もやもや病の出血発症の場合、再出血率が極めて高い。(統計では63%くらいの確率だという)

だから医師からも今度再出血したら予後は極めて悪い可能性が高いと釘を刺されていた

気を付けろと釘を刺されたからといってなす術もないのだけれど、、、

予後が極めて悪い=死を意味するに近い言葉である

そんな事が分かってからというもの、

僕の前には生まれて初めて、「死」の文字が垂れ、僕の心につきまとうようになった。

正直、毎日が恐怖であった・・

人間、「死」という文字が目の前にぶら下がりはじめると、考え方が大きく変わるものだ

例えば、今まで価値があると感じてきたものに対して何の価値も感じなくなるものだと思う

増してや、現代医学ではほぼ完全回復不可能な左半身麻痺という障害を背負うハメなり、

常時痛みと痺れに苦しまなければならない状態になってしまい、

毎日が苦しくて、苦しくてどうしようもなく辛いのである

そのような精神状態のときには

「お金」は生きようと思えるための何のモチベーションにもならない事を肌身で感じた。

生きる意欲を持つために何が必要か

決してお金ではない

今は、心底そう思っている

いくらお金を持っていても、人は絶望してしまうと人は死うを選ぶ

逆にいくら、貧困であっても、何もかも失っていても、

心の中に夢、希望、志というものがある限り、人は生きようとすると思う

人は身体が病み、傷ついても生きようとするが、心が病み傷付き希望や夢を失うと死を選ぶと思う

そして何よりも

生きるためにj心の中に持つ必要のある夢、希望、志といったものお金では買えない。

自分の心の中で自らつくるものだと思う

だからそんな意味でお金は何の役にも立たない

僕自身今でも経済的成功には本当に何の興味もない

だって、何兆円あろうが僕のこの身体が元に戻るわけではないのだから・・・

それよりも生きている限り、希望や志を持って精一杯生き、

そして障害者でも人の役に立つ人間になれることの方が経済的成功なんかよりずっと価値を感じるし、

それができるなら、「生きたい」と思うのだ

だからこそこの4年半というもの僕は生きるために(=死を選択しないために)

自分の志と言えるものを探し求めてきたような気がする

だから夢、希望、志、ロマンというものは人間が生きるためにお金よりもずっと大切なものではないかと思う

夢、希望、志、ロマンを持つ事が出来れば、

心が前向きになり、

心が前向きになれば、知恵も湧く、知恵が湧けば事業も成功する

逆に志もなく、目の前のお金に一喜一憂し、

ちょっとお金がないとか減ると言うだけで、希望が持てない状態だったら

心は後ろ向きになり、

心は後ろ向きになると出る知恵も湧かない

知恵が湧かないjから、何事もうまくいかないという悪循環に陥ると思う

脳卒中のおかげで人間にとって夢、希望、志それほど重要なものであるという

そんなことに気が付いた僕である

これは何も人間だけでなく企業や国家でも同じだと思う

昔、若い頃企業に必要なのは「経営理念」だと教えられたことfがあるけど

正直、そのときはキレイ事だと思っていた

企業はやはり、利益であり、売上という経済って気利益が最も重要だ、

それが現実だ!・・と

でも今は違う 

企業でも夢、希望、志のない企業はダメになるのが早いと思う

例えば営業マン、毎日売上の数値目標を掲げられて、

毎日ひどく売上・収益の目標管理をさせられ

そして追い求められる

経営者なら目先の資金繰りに追われ、

資金の工面に奔走しなければならない事態に追い込まれる

だから夢や希望やロマンだなんて言っていられない状況になる

それはそれで仕方無いと思う

でもその毎日売上目標達成に追われる中でも、その先に志や夢と言えるものがあれば

苦しい売上追求や資金繰りの苦しさにも耐えることができると思うのだ

そんな意味で企業にも人間にも

目先のお金よりも経営理念とか希望や志といったものが大切なんだ

とこの歳になってやっと気が付かされた僕である

そんな風に考えると

今の日本や日本人に最も必要なのものは

夢であり志であり、ロマンというようなものではなかろうか

今、アベノミクスの一環の金融緩和により一時的にお金の面だけで

景気回復期待がされているようだけれども

このアベノミクスの先に何があるのかが僕には今一見えない

つまり具体的なビジョンというか

日本の将来像のようなものが見えないし、

具体的になっていないような気がするのだ。

政権が自民党に代わってから景気回復にはやはり公共投資が重要だということで

いわゆるバラマキ施策が行われているうようだけれども

いまいちピンとこないのはそんなところにあるのかもしれない。

僕は今こそ、大胆な将来ビジョンを示すことができる絶好の機会ではないかと思っている

というのは、従来型の道路やダムなどのインフラ整備のための公共事業には限界があると思う。

なぜなら今の日本はもう充分過ぎるほどインフラは整備されているからだ

だからそんなところにまた公共投資をするとまだ「税金の無駄遣い」と言われかねない

でも、今、

脱原発という絶好の日本の志であり、

日本のビジョンとなりえるものがあるではないか

脱原発のためには大規模な送電網の改革

そして昨日も記事にしたような大規模蓄電池の整備

そしてスマートシティ構築に必要なITシステム開発整備

これらの脱原発施策に大胆なビジョンを描き、国家事業として、公共投資をするのであれば

たぶんだれも文句は言わないであろうし、経済効果も抜群ではないかとおもうのだが、

この考えは浅はかだろうか

気になるのはアベノミクスで「経済再生」を掲げながら、

そういった具体的な将来ビジョンが不明確なことだ


実際、今年度の経産省の予算の中身が霞が関の省庁(経産省国交省)が打ち出した

というような明確な「国家事業」予算ではなく、使途が不明確な「補助金」とか「基金」として

ている傾向が見えるからだ

つまり金は出すが、(脱原発やスマートシティ構想などの)日本の将来ビジョンや

イデアは民間に委ねるというような姿勢に見えるからだ

それこそ(日本の将来ビジョンとそのための国家事業を明確に打ち出す事)が

あんたたち官僚や政治家の仕事ではないのか??

だから霞が関の官僚や政治家に具体的国家ビジョンは作れないのかと思えてしまうのだ


霞が関の官僚が描けないのか、

政治家が描けないのか

どちらかわからないけれど

もっと国民皆が夢、希望、志の持てるような

具体的な国家ビジョンを打ち出してほしいものだ

と僕は思っている



人間にとって

夢こそ力

であると思うから・・

目先のお金はもういい、目先の金融施策はもういい

と・・ね