外界からの雑念(情報)を断つことにより、心をクリアにしてことの本質を見る

今の時代外界からの雑念(情報)が多すぎる・・

マスメディア、人からの又聞き・・

良いと思って構築してきた

多くの人間関係が

逆に僕の心を惑わしていることに気が付いた

心を限りなくニュートラルにすることにより、

ことの本質、自分の生きる意味の本質を見つめたい

そのためには外界からの雑念(情報)を断つことが最も大切だと思う


外界からの雑念(情報)は五感から入力されてくる

でも五感を完全に遮断することは物理的に不可能

だとしたら瞑想することだろう

僕なりの解釈では

瞑想とは・・別に山籠もりをしたり寺に行って「何もない環境」で修業に励むことではない

限りなく目の前の「コト」に集中することだと思う

そのことによって

自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な悲しみ

自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な不安

自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な怒り

自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な憎しみ

自分の勝手な思い込みによって生まれる余計苛立ち

自分の勝手な思い込みによって生まれる余計な焦り

このような全てのネガティブな心が取り払われ

僕の心は」限りなくニュートラルになる

ニュートラルな心になれhば世の事象(政治・経済だkぇでなく俗世間)

だけでなく、自分の障害に対しても客観的視点で見ることができる

そのことで人間の本質が見えてくる

不思議なことだがここまで苦しめられると人の心の裏側が自然と読めてくるのだ

不思議なものである

人の発する表面的な言葉の裏側・・そんなものが今の自分には見えるのだ

まるでイジメを受けた子もが人の心の裏側が読めるようになるように・・

良いことだか、悪いことだかわからないがそんな自分が今ここにいる

でも心は不思議と平安である

威張る人、

自分を誇示する人、

自分の些細なミスをやたら攻撃してくる人

そんなどんな人からの「心への攻撃」にも平安でいられる

それらの人々も所詮はいゆかは死にゆくのだ

そういう人たちでさえも

病・老い・死には絶対にあらがうことはできない

人間、皆所詮は同じ道をたどってゆくのだ

そう思うえば障害者であっても僕の心は何ら動揺しない