僕の障害は必然?

今、仏教の創始者ブッダ(釈迦)の教え(タンマパダに嵌っている。

今、障害者になってしまった僕の心を救ってくれそうな気がするからだと思う

このブッダの教えの中で最も気に入ったのは

他の多くの宗教(大乗仏教も含めた)にあるような、

超越的な救済者や不可思議な力によって救済される事を一切認めていない事だ。

他の宗教では必ず出てくるような神や霊魂などの存在やその影響さえ、完全に否定している

読めば読むほど、ブッダ理論物理学者だったのではないかと思えるほど、

自己救済の方法や世の中の捉え方が超現実的なのだ。

例えば、有名なこの世は諸行無常であるという事についても「刹那」の連続であり、

この流れは変えることができず、不変であるという考え方である

この「刹那」とは、「もうこれ以上分解できないほどの時間の最小単位の事を指し、

(現在では刹那とは100京分の10の-18乗とされているそうだ)

世の中の全ては、この「刹那」の単位で変化し続けているというのだ。

こんな考え方は、理論物理学者が物質の最小単位であり、

この世の中を形成する素粒子を追求する研究に非常によく似ている、

いや、現在の理論物理学は時間とは何かという研究までしているので、

根本的には同じではないかとさえ思える。


例えば・・

今、机の上に一本の鉛筆を置いたとして、そのまま放置したとする

その鉛筆はどうなるか

多分一週間後には、そのままで何も変わっていない(変わっていないように見えるだけ)だろう


では千年後はどうなっているか?!

多分朽ち果てているだろう

そこまでは誰でもうなずけるだろう

じゃあ、千年後に朽ち果てた鉛筆

はいったいいつ朽ち果てたのか?

という問いには一瞬答えに戸惑うのではないだろうか?

答えは、

その千年の間の一瞬、一瞬である


つまり、一瞬(刹那の間)にも朽ち続けているのだ。

それゆえ、世の中の物質は全て、一瞬(刹那の間)にも変化し続けているというのだ


だから世の中には明確な「実体」いえるものは存在しない


全てはうつろいゆくいうのだ。

またそれは物質に限らず、自我という精神も同じであるという

だから、精神そのものがうつろいゆくのであるから、

ブッダは(多くの宗教で存在すると言われている)

死後に永遠に存続するという精神(霊魂のようなもの)さえも否定している

これって、現代の最先端の物理学でその正体を探ろうと研究されている

「物質とは何か?」

「物質の質量」は何からできているのか?」

という最先端の物理学の回答に近いものではないのか?



本当にスゴイと思う!

2500年も前にそういう事に疑問を持ち、

更に回答といえるような悟りを開いていたとは、、、


これは僕なりの考え方だけど、

要するに最も大切な事は今生きているこの瞬間であり、

そしてこの世の中の全てのものが、諸行無常であり、

うつろいゆくものであるから、

そんなもの(お金や名誉や様々な「成功」と呼ばれるもの)に執着してはいけない

執着して、それが得られない、

もしくは、それを喪失するから苦悩しなければならないのだ

病気さえも、

いつまでも健康でいられると考えているから(永遠の健康への執着とでもいうのだろうか)

病気に襲われたときに苦悩しなければならないのだ


健康でありたいという執着?さえも、

生きていたいという生への執着?さえも

人間の苦悩の原因になるというのだ

人間は皆、生まれた瞬間から死にむかってうつろいゆくのだ。

そして、一瞬たりとその歩みは止まらない。

だから、必ず人は老いるし、今この瞬間も、身体は朽ち続け死に向かっているのだ

そう考えると、

僕が脳卒中になった事さえ、(生まれた瞬間から今この瞬間も)

死に向かって歩んでいる「僕にとって必然」だったと言えるのではないか

と感じるのだ。


今僕が障害に対して苦悩する理由は

「いつまでも健康でいたい」などとい執着であり、

そんな心構えでいる限り、世の中は諸行無常という真理の中では、

極めて身勝手な僕の「煩悩」であり、苦悩の原因であると感じるのだ。

「いつまでも健康でいたい」という願望までもが「煩悩」なのか・・

そこまで悟りを開けたら、本当に心が楽になるだろうと思う。

だっていつかは病気になり、死を迎えるということを自然の摂理として

「当たり前のこと」と捉える事ができるのだから

障害に苦悩するする必要もなくなるだろう

つまり僕の背負った障害は

僕の人間の人生の「必然」とも思えるようになるのだから・・


そして僕が怒りや憎しみや怒りや悲しみといった感情を「無」にして、決して焦らず

決して惑わされず、我欲を捨て客観的に見て

今最もやるべきこと、目の前のやるべきことを粛々とやるために必要な事は


やはり「無私無欲」であると思う。

ブッダの言う「諸法無我」には到底及ばないけれど、

永遠に到達できないかもしれないけれど、

僕がこの障害に打ち勝つにはそれが一番

僕にとって良い心構えだと思っている。

この世の超越した救済者(神や仏や先祖の霊、はたまた守護霊など一切存在しない)は

一切存在からこそ、自分のあらゆる苦悩を救済できるのは自分しかいない

自分の心の修練しかないのだ

とあらためて思うのだ