医学の発展は人間を幸福にするのだろうか・・

昨年はIPS細胞の成功で山中教授がノーベル賞を取った・・


現代医学は日進月歩だ・・

昔は治癒できなかった病も少しずつ治療法が発見されつつある

でも、これは人間にとって本当に幸せなことなのだろうか

僕が患った脳卒中・・

ひと昔前は死因の第1位だったという


それが医学の発展により脳卒中による死亡率は激減したという

その代り・・

僕のような後遺症を抱える障害者が激増しているという

これって

死亡する代わりに

苦しみながら生きさせられることを

意味するのではないか

これって幸せなんだろうか

先日もテレビでやっていたが、

最近は妊婦が胎児の出生前診断を血液検査だけで

できるようになったらしい

そのため胎児に障害やダウン症などの問題があるか否かが

簡単にわかるようになった

反面、胎児が障害やダウン症だと判明した結果、

出産を諦め、堕胎するケースも増えているという

これって、他人が本人の意思を聞かずに

命の取捨選択をしてしまっていることになりはしないか

当然、取捨選択する親も苦しむことになる


昨年はIPS細胞の成功で山中教授がノーベル賞を取った・・

身体の皮膚細胞を「初期化」することで、

そこからどんな臓器でも再生できるという

確かに画期的な医学の進歩だと思う

でもこれって

将来、大きな問題を起こすような気がする

臓器を無限に再生できることを意味するからだ


臓器を無限に再生できることは

永遠の命を得ることができる可能性があるのではないか


一昔前までは人は歳をとって、自然に死ぬという

いわゆる「老衰」という死亡原因があったが最近は少ないらしい


なぜなら
Wikipediaより抜粋>
老衰(ろうすい)とは、年をとって心身が衰えること意味する。医学が未発達の時代には高齢者の死因は老衰が原因としていた。生物学的・医学的には老化に伴って個体を形成する細胞や組織の機能の低下、恒常性の維持が困難になることが原因。老衰によって生命活動が終わること(死ぬこと)を、老衰死(ろうすいし)とも言う。 老衰による死を表すのに、平素の日本語では「寿命が来た」「寿命が尽きた」などとも表現する。
従来、多数の高齢者の死因は老衰と表現されることが多かったが、近代における医療技術の環境下では医学的原因には不適格であるとして死因を老衰と表現することが少なくなっている。これは、老齢による代謝・免疫・回復能力の不全による死因を、従来は老衰と表現されていたが、診断上、心不全・肺炎・多臓器不全・脳卒中などの病死扱いとなることが多くなっている。



つまり、死はほとんどの場合(いや100%かもしれない)

臓器の機能低下もしくは感染症による臓器不全が原因だということだ。

「自然死」という定義は存在しない

だとしたら、IPS細胞による全ての臓器が再生できる時代が来たら

本当に永遠の命を獲得できることになりはしないか

永遠の命って人間にとって幸せなことなのだろうか

僕は自分が脳出血起こしても、生き残った結果

今、辛い思いをして生きている。

いや生きさえられているとさえ感じる

僕が生きさせられている

それは他人(親兄弟や親族が)が生きてほしいから?

そこに僕の意志はあったのだろうか?

もし、あのとき(ICUに入って生と死の境をさまよっていたとき)

僕に今のような障害者としての生き方が待っている

と知らされていたら

それでも

生きたい

と思っただろうか。。

こんな死に損ないのような生き方を望んだだろうか



今僕は、「生き続ける」ことが

本人にとって絶対的幸せだとは思えない

このまま医学が進歩することは、


他人が「生き続けさせる」ことをできる事を意味する

それは本人の意志とは全く無関係に

生き続けさせる事になりはしないか

それはある意味「本人にとって」不幸であり、残酷であると思う




人間が命を完全にコントロールできる日は近いような気がする


それは・・


この世に人間がこの世に生まれることが

「命は授かるもの」から人間(他人)が「命を取捨選択する」に変え

死を

「天命を全うし、往生する事」から


人間(他人)が「天命を全うさせず、どんなに辛くても生き続けさせる」

ことを強いることになるような気がする


人間が命を完全にコントロールできるとはそういうことのような気がする


医学の発展は人間を幸福にするのだろうか・・