自己犠牲の覚悟なんて損?

先日「自己犠牲の覚悟」ていう記事を書いたら、以下のようなコメントを頂いた

「自分さえ我慢すればよいという考え方は、他人にいいように利用されるだけです。はっきり言えば、舐めて掛かって来るのが人の世の常。嫌は事は きちんと相手に伝える。それで関係が崩れたなら、元々その程度の関係だったのです。いくらでも捨てて次へ進んで下さい」


自己犠牲なんていう考え方でいたら、「他人のいいように利用されるだけ」

確かにそうかもしれない

でも、他人のいいように利用されても、

それでも耐えることができなければ

「自己犠牲の覚悟」を持ったとは言えないと思う


他人のいいように利用されて怒っているようではダメ

そんなの「損」と言われるかもしれないけれど

「自己犠牲の覚悟」なんて損得勘定ではない

それは「生き方の美学(哲学)」だと思う

たとえ結果としてそんな考え方に付け込まれて酷い目に遭ったとしても

耐え切って生き抜くことができれば、

死に際には自分の生きてきた生き方に満足できるのではないかと僕は思う

「自己犠牲の覚悟」なんて損得勘定で考えたら損に決まっている。


でも昔の武士は、主君のために自己犠牲を払ったそれは損得ではなく

武士としての生き方を貫いたことに誇りを持ちたいからだったと僕は思う


あのインドのマハトマガンジーにしても非暴力主義を掲げ、

それに付け込まれ酷い目に遭わされたけど、

それでも非暴力・不服従を貫き通し、インドを独立に導いたではないか


現代のような社会では古い考えとして

受け入れられないかもしれないけれど


それでも僕は人の生き方としては美学(哲学?)であると思うし、

たとえ酷い目にあったとしても、その生き方を貫き通した方が

自分は生き方に誇りを持てるのではないかと思う。

言うは簡単、実行は難しいけどね・・

僕だって生身の人間、、、

まだまだ怒るときは怒るし、

悔しいときは憎んでしまう

だからこそ目標として自己犠牲の覚悟を持ちたいと思う