自己犠牲はなぜ人間の美学なのか

今年に入ってから三島由紀夫の小説に影響されてか

「自己犠牲」について考えている

自己犠牲がなぜ人間の(男の)美学なのか・・・




よくイザというときに逃げ出す人間は本当のパートナー(友)ではない

お互いに本当に苦しいときに助け合える人が本当のパートナー(友)だ


なんて言うけれど、

じっさい、人は本当に苦しくなったとき、或いは苦境に立ったとき、

本能的に「自己防衛」の行動に走るものだと思う。

生身の人間である以上、それはいたしかたないことだと思う

ある意味本能的な「欲」でもあるのだろう

欲にもいろいろあるが、金銭欲、名誉欲などというものはどちらかというと

本来、理性で抑えるべき「欲」だけども


ここで言う「欲」は基本的な生存の欲求というようなものだと思う。

つまり自らが生き残るための根本的な自己防衛欲求だ

でもその自己防衛「本能」さえも押し殺し、パートナー(友)のために

自分を棄て、自分が盾となり、パートナー(友)を守るからこそ、そこに本能に勝つ

人としての崇高な理性だと感じるのではないだろうか。

「自己犠牲」とは、そんなものではなしだろうか

だから自己犠牲の覚悟を持てる人間は美しいと感じる。

のではないか

人は調子のいいときは

自分のことしか考えないものだと思う。


自分に不運が回ってきて、

人にも世間にも捨てられ、

その日その日の苦労をするようになると、

はじめて他人のことも考え

見るもの聞くものが身にしみるようになる。

皮肉なもんだ・・と思う





そんな本当は弱い人間だからこそ、


そんな中で自己犠牲を払える事は

人としての「美学」だと思う


そして、何より、

僕にとって、、、


自己犠牲の精神(覚悟)を持つ事は

辛い事が当たり前に思えるようになるから、

自己犠牲の精神(覚悟)を持つ事は

どんなに悔しくても泣き言は言わなくなれそうだから、、

自己犠牲の精神(覚悟)を持つ事は

不自由で辛い事が本望だと思えるから、、

結果として

心の乱れをなくし、安寧を得ることが

できるのではないかと思うから、、