己を捨てたい

思い入れ・・

こだわり・・


つまり自我・・

武士道的に言うと

いわゆる「おのれ」というやつだと思う


「己」「自我」・・

これが人間を苦しめる大きな原因だと僕は確信している。

人それぞれ人間は大なり小なり

「思い入れ」や「こだわり」やプライドを持っていると思う

自尊心とでも言うのでしょうか

自分が自分でああるために必要なモノ

でもそのプライドがあるからこそ頑張れることもあるのですが

その反対にそのプライドを打ち砕かれたとき


人は酷く苦しむ・・


立もう二度と立ち上がれないと思うほどにうちひしがれる

でもそのプライド(「思い入れ」や「こだわり)を

つまり「己」を「本当に」捨てることができたとき

人は本当に強くなれ、希望を持つことができると思う。

僕自身がそうだったように思う。

健常斜だったころ

僕には無意識に「男とはこうあるべき」とか「夫とはこうあるべき」

そして「父親とはこうあるべき」といったような思い込み

もっと基本的な・・

最低限人間とはこうあるべきだという

(「思い入れ」や「こだわり)つまり己と自我を

自分がしっかり持っていた事に気が付いた

それを自覚したのは脳出血で半身不随になったときだ。

なぜなら半身不随という間として最低限必要な身体機能を失ったことで


潜在的にでも持っていた僕のいわゆる理想像(あるべき姿)が

ものの見事に、木端微塵に打ち砕かれたからだ。

それはもう二度と立ち直れないのではないかと思うくらい傷ついた。

最悪の自己嫌悪状態だった。

でそんな状態から少しは立ち直り今の心の状態に来れたきっかけは

そういった「理想像(あるべき姿」とは自分が勝手に自分の心の中に

作ってしまったものに過ぎないと気づいた事ができたからだと思う。

誰も強制していないのに・・

誰もそんな事望んでいないのに・・


「こんなはずじゃない・・」

「こんなバカな・・」


とい気持ちが

つまり悲しみ、憤り、怒りといった感情が

冷静な判断を誤らせ、悲観的になり、

生きるための知恵をも産めなくなる


そんなことは

自分だけで勝手にこだわっているに過ぎないことに気付いた。


そこからが僕の再起のスタートだったように思う。

過去に持っていた思い込み(「思い入れ」や「こだわり)を捨てることが


つまり「己を捨てる」ことができた(実際には喪失させられた)


からこそ新しい希望を今の自分にできることを

客観的にとらえ考えたからこそ


全く新しい志として持つことができたのだと僕は感じている。

その意味では

「喪失」を真正面から受け止めることこそが


苦しいけれど

新しい自分や新しい希望を生み出す原動力になるのではないか

と感じている。

「己を捨てる」ことができたとき人は強くなれる

「思い入れ」や「こだわり」は生きるための

知恵や希望を持つ邪魔にしかならない。

そして前に進む壁にしかならない。


「自然の理を守りて道に背かず 和を尊びて乱を避け暴を退ける」

という言葉がある

でも、自然の理を守る・・って難しい

つい自分のこだわりや思い入れが邪魔をして、

 冷静さを失い、現実の正しい道を見えなくする


自分のこだわりや思い入れに反論されると

和を尊べないことが多々起こる


腹が立つ、憎む、悲しむとかいう感情を持つと

自然の理法に従って正しいかどうかを判断することが難しくなる

どうしても自分のこだわりや思い入れが邪魔をする

冷静に知恵を使えなくなる。

「こだわり」や「思い入れ」が強ければ強いほどそ壁は増々厚くなる

それが無用な憎しみや怒りを争いを生み、悲しみを生む

なぜなら、

「こだわり」や「思い入れ」を持つと

つまり自我やプライドというようなものを持つと

人は冷静な判断をするための「知恵」を使わなくなるから・・

そして使えなくなるから・・


そして僕はこんな身体になったからこそ


己を捨てたい


人として基本的な事が出来なくなる


持つ・運ぶ・歩く等々


そんなことさえできなくなると

毎日、毎日、、

いや、生きている瞬間、瞬間(一分一秒)が悔しさと悲しみと


そして絶望感に襲われる

そんな悔しさと悲しみや絶望感にまみれていると、


生きていけなくなる。


正直、死にたいと何度も思った

そんな心持ちではこの先生きていけないから


未来をつくることができないと思うから


だから僕は

己を捨てたい

でもそれは人にとって難しいことだ

でも僕は挑戦し続ける


障害者でも強く生きたいから・・


人は己を捨てる事ができたとき

何事にも負けない最強になれると思うから


そしてなにより・・

笑顔になれると思うから