「心情的理解」が人を動かす

昔、若いころ人を動かすためには相手に対する「心情的理解」が必要だと習った

そして相手に対して「心情的理解」が示せたかどうかの判断は・・

「相手の気持ちを相手が表現する以上にこちらが表現できたとき」


ということだった。
そんなことを習ってしばらくしたとき

僕自身がある相手に「「心情的理解」」を示すことができたとう瞬間に出くわした。

僕は若い一時期、柄にも合わず、コンサルタントという職業についていた

あるとき、ある企業の担当をしていたとき

その企業の№2の社員(仮にAさんとしよう)が

会社(社長)に対して不満を持っていることがわかった

僕はそのとき(今はもう何だったか忘れたけど・・)

Aさんの不満が手に取るように理解できた。

そしてある会議の場で僕がAさんの不満を30分ほど代弁してあげたことがあった。

そのときだった。Aさんは目を輝かせて、

「そうなんです!私の言いたかったとは、今、岡下さん言った通りなんです!」
「岡下さんだけが私の気持ちを分かってっくれています」

と言ってくれた・・

僕は、正直驚いた・・

たぶん僕がAさんの気持ちを的確に代弁できたのだろう

Aさんが言いたくても言えなかった不満を

僕が「彼以上の表現で」言うことができたのだろう

驚いたことに・・

その日を境にAさんは僕の言うことや指示はほとんど100%聞き入れ

行動するようになったのだ・・

僕はそのときはじめて「心情的理解」とはこういうことのなのか

とあらためて感じた。

そして相手の心情的理解を示す」ためには、或いは相手が心情的理解を

示してくれていると感じるには「同じ体験をするか」

もしくは「本当の意味で相手の立場に立つ」事が出来ないと

相手の心情なんて的確に理解できず、語ることもできないだろうと

思うようになった


そして、今、僕は障害者になって

担当の医師が僕の心情を理解してくれている

とは思えない自分がいる

もちろん、医師だけではない

毎日過ごしている家族でさえ僕の本当の心情を

理解することはできていないないだろうと感じている

僕と同じ経験をするまでは・・ね



そんな意味ではさみしいけど

この僕のブログの読者でひとりだけ、

たったひとりだけ、

僕と同じ脳卒中の後遺症による半身麻痺で且つ視床痛に苦しんでいる方がいらっしゃいます。

その方だけが、(たぶん世界で唯一)僕の「心情的理解」をしてもらっていると感じている

だからもし、その方から「泣き言を言うな!」って叱咤されたら、

素直に聞いてしまうだろう・・

「はい!もう泣き言は言いません!」と・・苦笑

だって

同じ苦しみを味わっている人から叱咤されたら何も言い返せない、、

だから「心情的理解が人を動かす」というのは自分にも当てはまる



人は自分のこと(状況)を「キチンと理解してくれた上で」


叱咤されると聞く耳を持つものだ・・

でも「理解してくれていない」と感じる相手の

言葉を聞く耳は持たないものだ

だから同郷野人間(同じ環境を経験した人間)とは親しくなれるし、

言うことも聞ける

学歴も同じ・・

同学歴の人には親しみを感じるし、同学歴の上司の言うことは聞ける

でも、例えば自分より高学歴の上司の言うことは素直に聞けないものだ・・


しかしそう考えると

あの鳩山前首相・・

母親から一年間に1億8000万(5年間で9億円とのこと)の「小遣い?」をもらっていたという

そんな経験は誰もしたことないから


たぶん、鳩山前首相に「心情的理解」をできる人はほとんどいないだろう。。

そして逆に鳩山前首相は一般国民の「心情的理解」をする事は困難だろう

だから

鳩山前首相には永久に国民を動かすことはできない

と締めくくりました。。苦笑