人はなぜ死について考えるのであろう

脳と魂や死後の事を記事に書くといつもビックリするくらい賛否両論のコメントが来る、、


それだけ死は人にとって関心のある事なのであろう

有史以来、人は死について考え、死後について考え、そこから宗教が生まれ、神という存在をつくり、霊というような存在をつくってきた、

昨日、脳=心=魂というテーマの記事中で死後や霊魂の存在について書いてみて、、

今日なって思ったのだが、

今この瞬間自分は生きている
生きている限り、死後の事なんて分かる訳がない

だとしたら、死や死後の事なんて考える事自体無意味な事ではないのか?

脳内出血の死亡率は70%だという

そんな死亡率の高い疾患に襲われ、

幸いにも生き延びたのだから、

生きる事を考える方が大事なのではないのか

健常者の頃の自分もそう考えていたくちだ、、

なのに、

しかも
僕は昨日の記事で、死後の世界や
霊魂の存在を否定しているにも関わらず、半身不随になってからといもの、
この4年間、何度も「祈った」

これが現実でないように、、

とか、

奇跡的な回復をするように、

とかである

何に対して祈ったのか

自分でもよくわからない

やはり、死に直面した事により、死に対する怖れのようなものを感じたからなのだろうか

ただ、今もやはり、死について考える事は無意味に思う

霊や神という存在ついても考える事は無意味だと感じている

生きている今この瞬間をどう生きるかを考えるべきではないか
ひとつはこの4年間、
何度も「祈った」にも関わらず、

結局、何も起きなかったし、

起きたのを見た事もなかった

リハビリテーション病院で見たものは

同じように脳の損傷を受けた患者が
同じように苦しむ姿という厳然たる

現実が自分の前に横たわっているという事を突き付けられただけである

ある患者は自分自身の事さえ認識できず、虚ろな目で横たわっている姿。

そんな経験から「生きるとは何か」
を考えざる得なかったのだろう

「生きるとは何か」を考え始めると
おのずと死について考える事に行き着いてしまう

ましてやリハビリテーション病院の患者の自分が入院していた病棟のほとんどは脳疾患患者だった

そんな脳疾患患者が魂が抜かれたようなするようにを見るにつけ、そんな中で、魂や霊魂が存在するという仮説を立てても、その仮説がことごとく砕け散ってしまった経験から、昨日のような答えに行き着かざる得なかったのだろう

でも、やはり、

繰り返しになるけど


生きている今、死や死後の事に考える事は無意味だと感じる

生きている限り、僕の目の前に横たわる厳然たる現実の中で、どうやって生きるかという生きる事を考えるべきなのてまあろう


生きている今、死について、死後について考える事はどう考えてもやはり無意味だと感じる


今、この身体障害という身体で、どうすれば、価値のある生き方ができるのか、

どうすれば、少しでも障害の苦痛を和らげ、生きている同じ人間に対して役に立つ事が少しでもできる生き方ができるのか

を考える方が有意義だ


自分自身が今、生きているのだから、、