障害者になる前の僕は正直言って薄っぺらな人間だったと思う
経済的成功求めつつ、早期に引退して、
将来は海外のリゾートなんかで、のんびりと過ごす、、
などという生き方ができれば充実した人生になるのではないか
などとと考えていたように思う
それに比べて今は、そんな理想とは全く正反対の生活をしている。
体の不自由な毎日が苦しい、
その上経済的にもギリギリの状態である
その代わり
毎日が、一分一秒が真剣である。
例えば
歩くということの中でさえ左足を一歩踏み出す瞬間は真剣である
ちょっとでも気を緩めると転倒して大怪我をする可能性があるから・・
僕のそれ(45歳で倒れるまで)までの人生で
これほどまでに瞬間、瞬間を真剣に生きたことがあるだろうか
そしてこの4年間ほど「人間が生きる」ということについて
深く考えた事があるだろうか
障害を負ったおかげで、僕は経済的成功によりのんびりと優雅な人生を送る人より
ずっとずっと人間らしく、一分の隙もないほど毎日が充実していると思う
そしてより地に足の着いた暮らしをしていると思う。
どちらが幸せなのかは価値観によっても変わるだろうけど、
少なくとも僕は今、一瞬、一瞬を「後悔のない生き方」を
していると自信を持って言える
経済的成功求めつつ、早期に引退して、
将来は海外のリゾートなんかで、のんびりと過ごす、、
などという生き方ができれば充実した人生になるのではないか
などとと考えていたように思う
それに比べて今は、そんな理想とは全く正反対の生活をしている。
体の不自由な毎日が苦しい、
その上経済的にもギリギリの状態である
その代わり
毎日が、一分一秒が真剣である。
例えば
歩くということの中でさえ左足を一歩踏み出す瞬間は真剣である
ちょっとでも気を緩めると転倒して大怪我をする可能性があるから・・
僕のそれ(45歳で倒れるまで)までの人生で
これほどまでに瞬間、瞬間を真剣に生きたことがあるだろうか
そしてこの4年間ほど「人間が生きる」ということについて
深く考えた事があるだろうか
障害を負ったおかげで、僕は経済的成功によりのんびりと優雅な人生を送る人より
ずっとずっと人間らしく、一分の隙もないほど毎日が充実していると思う
そしてより地に足の着いた暮らしをしていると思う。
どちらが幸せなのかは価値観によっても変わるだろうけど、
少なくとも僕は今、一瞬、一瞬を「後悔のない生き方」を
していると自信を持って言える