先天性障害と中途障害


ある(自称)限りなく先天性障害者の方が作っていらっしゃる
ユニバーサルマインド(害者、健常者に限らず子供、高齢者、性別などを超えて・・という意味)というホームページに何気なくたどり着いた

そこに書いてあった中途障害と先天性障害の違いについての

以下の文章に考えさせられた

--------------------------------------------------------------------------------------
中途障害とは、人生半ばにしてある日突然、事故や病気により障害者となる、又は更に、徐々に障害が進行する事を言います。ある日突然身体機能が欠落し、その事を受け入れられる様になるには壮絶な精神の葛藤があり、ショック、絶望、混乱、現実逃避、希望、挫折を繰り返します、更に、一般的な障害者観、=弱者、世間から守られる立場になるイメージなども精神的な重圧になります。

中途障害者は健常者意識を持ちつつ障害者になります、中途障害者の中で障害を受容しきれない人は、「自分は、ほかの障害者とは違う」との意識が強く、ほかの障害者に対して抑圧的な態度を取ったりする人がいます、これとは反対に、「先天性の方がうらやましい、中途は非常に苦労する」と言われる方、そんなことを言われても答えに困ってしまいます。
各障害において先天性と中途では障害が同じように見えても、「感情」を中心として様々な違いがあります。

更に、先天障害者と中途障害者の関係にも微妙な温度差があります。

中途障害者は健常者意識を持ちつつ障害者になります、中途障害者の中で障害を受容しきれない人は、「自分は、ほかの障害者とは違う」との意識が強く、ほかの障害者に対して抑圧的な態度を取ったりする人がいます、これとは反対に、「先天性の方がうらやましい、中途は非常に苦労する」と言われる方、そんなことを言われても答えに困ってしまいます。

又、先天障害者は中途障害者に対して、「その程度の障害で何故悩む?」と、言ったり思ったりします、その反対に中途障害者をうらやましく思う事があります、身体機能が失われる前の学習や趣味などの体験は、その記憶だけでも大変な財産です。
------------------------------------------------------------------------------------


うーん

健常者の頃の過去の趣味や記憶や体験は財産か・・

僕はまだ心のどこかで自分を障害者として認めていない、認めきれない自分がいる

今の自分はどこか「虚像である」「虚像であってほしい」という思いがまだある。

僕にとっては未だに健常者の頃の自分が「実像」である

(もう4年も経つのに)自分が障害者であるということを未だに認めたくない


そんな思いがある意味僕に「無茶」をさせているような気がする

諦めが悪いといえば悪いのだろう

でも、、

たぶん僕は一生自分の障害を「受容」することなんて無いだろう

そして健常者と張り合おうとするだろう

それが自分を苦しめることだとは分かっているけれど・・