障害を負ったことを苦しむのは心がきっと弱いから・・
心の強い人はどんな困難に向きあっても平静を保つ、動じない
僕は辛くて辛くて仕方がない、
これもきっと健常者に戻りたいという(たぶん煩悩)があるからだ.
身体的痛みに苦しむことさえ煩悩があるからだ
人は煩悩の塊・・
この煩悩をなくすには・・いわゆる「空」になるしかない。
インドの人は偉いものだ
「空」とかゼロとか「無」いう概念を世界で初めて説いた(発見)のはインドの人
「空」僕なりの解釈は「無」
「無」ほど強いものはない
人間は「有」だから永久に「無」なんて理解できない
「無と」か「ゼロ」とか「無現」とかなんとなくあこがれる
なぜなら心が「無」であれば
苦しむことも、悲しむことも、怒ることもないと思うから
きっと身体的痛みに苦しむこともないと思っている。
それができない僕はまだまだ人間修行不足・・
きっと自我が強すぎる
無我になった方が楽になれるのに・・
死が「無」だと感じたいのもそういう考えからかもしれない。
死んでまで苦しみを味わいたくないから。
生きている今でもう充分・・
せめて死後くらい無になって平静であったほしい
生身の人間である限り自我を捨て無になることなんて不可能だ
それでも自我の苦しみに耐えて生きていかなければならない
だから可能な限り無我を目指したい
苦しみから逃れたいから、、
そして強くなりたいから・・
心の強い人はどんな困難に向きあっても平静を保つ、動じない
僕は辛くて辛くて仕方がない、
これもきっと健常者に戻りたいという(たぶん煩悩)があるからだ.
身体的痛みに苦しむことさえ煩悩があるからだ
人は煩悩の塊・・
この煩悩をなくすには・・いわゆる「空」になるしかない。
インドの人は偉いものだ
「空」とかゼロとか「無」いう概念を世界で初めて説いた(発見)のはインドの人
「空」僕なりの解釈は「無」
「無」ほど強いものはない
人間は「有」だから永久に「無」なんて理解できない
「無と」か「ゼロ」とか「無現」とかなんとなくあこがれる
なぜなら心が「無」であれば
苦しむことも、悲しむことも、怒ることもないと思うから
きっと身体的痛みに苦しむこともないと思っている。
それができない僕はまだまだ人間修行不足・・
きっと自我が強すぎる
無我になった方が楽になれるのに・・
死が「無」だと感じたいのもそういう考えからかもしれない。
死んでまで苦しみを味わいたくないから。
生きている今でもう充分・・
せめて死後くらい無になって平静であったほしい
生身の人間である限り自我を捨て無になることなんて不可能だ
それでも自我の苦しみに耐えて生きていかなければならない
だから可能な限り無我を目指したい
苦しみから逃れたいから、、
そして強くなりたいから・・