喪失することによってしか新しい自分は作れないのかも

僕は脳出血により左半身の「多くの」身体機能を失った

よく僕に会う人は「左手足が不自由で大変だね」と言ってくれる

そして最後に

「辛いでしょうけどリハビリ頑張ってください」

と必ず言ってくれる

でも失った身体機能は何も手足だけではない

ほとんどの健常者の方は気がつかないだと思いますが

左半身のいろんな部分がまだ麻痺しているのだ

例えば腹斜筋と呼ばれる身体をまっすぐに支えるための筋肉

これがまだ麻痺している身体をまっすぐに保つのが辛い

他にも三角筋という腕を支える肩甲骨あ足り筋肉

この筋肉が完全に回復していないめに重さ7キロ(体重の約1/10)腕は

糸かワイヤーでぶら下がっているような状態なので腕がやたら重い。。

感覚も失った(感覚を失った結果、疼痛という苦しみにあえいでいる)

こんな風に様々な身体機能を失った


でも

僕が失ったものはこういった身体機能だけではない

こういった身体機能を失うことによってもっと大きなものを失った

それはじぶんの全精力を傾け築き上げた小さかったけど自分の会社

そして一生懸命働いてくれった従業員

会社も破産したからだ(社長である僕が倒れたから仕方がない・・零細企業だったし・・)

それに伴い僕個人も自己破産(僕個人の保証で会社の銀行から借入をしていたから)

そして愛車も失った・・

当時持っていた夢も失った

これら失ったものはもう取り戻せない

この「喪失」の苦しみは味わった人にしかわからないであろう

どれもこれも僕がその年(45才)になるまでに築きあげたものなのだ

身体の機能だってそうだ

学生時代から水泳部で鍛えた身体、

その後社会経験で身に着けた身体機能だってたくさんある

それらすべてを「一瞬のうちに」失ってしまった・・

これがどれほどつらいことか

そしてそれら失ったものを取り戻すために

身体機能の回復を

期待した

リハビリによって・・・

でも

ある医師(脳外科医)の言葉がその希望を一瞬に打ち砕いてくれた

「後遺症」は一生治らないから「後遺症」と言うのだよ・・と・・


そして「現実」を伝えるのも医師の役割だとも言った

それは僕にとって残酷な言葉でもあった

でもこの言葉で僕は

「元には戻れないんだ」と悟った

そこで僕は考えた

元に戻れないんだったら新しい自分を作るしかないじゃないか

だから過去の自分を振り向いても仕方がないと・・

そして今、僕はこの身体で何ができるか模索している

新しい何かを・・

ある意味全て「喪失」してしまい、

更に「元に戻れない」と悟ったからこそ

今、僕は新しい自分を作ろうと前を向いて生きることができているのかもしれない

もう「喪失」するものがないから・・

もし、「喪失」への怖れがあったら

今の厳しい世の中(経済情勢も東日本大震災などの自然災害も)で

「保身」に向かい、前を向い生きれなかったかもしれない

確かに健常者の頃(会社を経営していた頃)は景気の見通しが不透明なことが不安

で、そして倒産などが怖くて、大きく前に踏み出せていなかったような気がする


それが皮肉なことに脳出血とい不運?(不幸?)に見舞われた結果


今僕は身体は苦しいけれども、少しずつ前に向かって(人生を)歩けている

ような気がする

人生って皮肉なものだと思う