人生の堪えどころかな・・

脳出血になった当初が人生最大の危機だと思っていたけど


意外や意外、今が人生の一番の難関かも知れない

それなりに社会復帰しつつある僕、、


でも人間社会に復帰すればするほど身体の苦痛とは別に

人間関係の苦痛が表面化してきているような気がする

増してや僕は障害者、障害者であることが発症当初は、

皆「非日常」の悲劇?として僕に優しかったように思うけど

障害者としてある程度社会復帰してくると、もう周囲の人にとって

僕が障害者であることは「非日常」ではなく「日常」となり

障害者であることが煩わしいと感じるようになっていることを肌身で感じる

僕自身は障害者であることなんて今でも「日常」ではない!

健康状態が本来の「日常」であるはずだ!

でもそのことによって人間関係の亀裂が生じ、怒りが生まれることが

多々起こるようになってきた。

ここは堪えるのみ・・

障害者の苦しみを健常者に分かってもらおうとする方が無理・・

と分かっているから・・

増してや目に見えない(CTにも映らない)疼痛の苦しみなんか

誰にも分かることはないだろう

だからここは何を言われても堪えるのみ

人生の堪えどころかもしれない

怒ることは簡単だけど、

それで何かが解決するとは思えない

ここは「忍」の一字だ

人間関係の怒りに堪え、疼痛の痛みに堪え・・

正直、2つも同時に堪えるのはちと辛いなぁ

人生には堪えどころがあると思っている

如何に理不尽でもそこを堪えることで新しい何かが見えてくるはずだと思うから

パレスチナ問題なんかも同じようなものだと思う

双方が理不尽による憎しみと怒りの連鎖・・だ

理不尽でも堪えることが肝要なときもある

それが人間社会なのかもしれない

そして今、僕はきっと人生の堪えどころ。