心の傷は時間が解決してくれるのではない「忘れる」以外に方法はない

人が受けた心の傷・・

時が解決してくれるという人がいるがそれは違うと思う

時が解決しくれるように思えるのは、「忘れる」ことができているからだ。

心の傷を負うときとは・・・

大切な人の死・・

僕のように一生の障害を負ってしまうとき


それ以外にも人から受けた侮辱。屈辱・・

それは怒り・悲しみ・憎しみ等の心の傷として残る


そんな心の傷が癒えるのはその出来事を「忘れることができたとき」以外にないと思う。

どうしても忘れられないとき、時は解決してくれない。時は何の役にも立たない。

じゃあ「忘れる」ためにはどうすればよいか


思い出す「きっかけ」にできる限り遭遇したい事だと思う。

長い間、その「きっかけ」に遭遇しなければ「忘れる」ことができ

結果として「時」が解決してくれたように思えるのではないか

ところが日々その「きっかけ」と向き合わなけばならないような状況においては

「忘れる」ことは不可能に近い。

そうなると「時」は解決してくれない

僕の場合、僕が過去に水泳ができていたという記憶が僕を苦しめる。

水泳能力の「喪失」の苦しみだ

過去に水泳ができていたという記憶を「忘れる」ということはほぼ不可能だ

でも僕がもし僕が過去に水泳ができていたという記憶を呼び戻す「きっかけ」

に長期間(10年、20年)出会わなかったら忘れることがきるかもしれない。

でもそれは不可能、だって少なくとも4年に一度はオリンピックというものがあるのだ

オリンピックは僕が過去に水泳ができていたという記憶を呼び戻す「きっかけ」には充分過ぎる

ついさっきも(よせばよ良いのに)北島選手の予選をテレビで観てしまった

これだけで僕の心には剃刀の刃のようなもので切られた痛みが走る・・

分かっているけど観てしまう 観ても動揺しないか試してみたくなるのだ

自分の心がどこまで強くなった確かめるかのように・・

結局、ひとり傷付くハメになるけど・・

僕の病気の場合、脳卒中で障害を負ったことそのものよりも、障害を負ったことによって起きた

僕にとって悲しく、辛い出来事の方が心の大きな傷になっている

そしてその心の傷がい癒やすため、そのことを「忘れる」ように努力するけど、

日々記憶を呼び戻す「きっかけ」に遭遇してしまう状況である

だから「忘れる」ことができず、結果として心の傷が癒えず、

憎しみ、悲しみ、怒りなどの心にいつまでも苦しんでいる

それでもほんの一時でも「忘れる」ことができるように

日々の仕事に打ち込むし、

「志」を持ってそのことに打ち込もうとしている自分がいる

そして

何にもしていないときに

また「きっかけ」に遭遇しても

思い出さなくなったとき (つまり「忘れた」とき)

初めて僕の心は強くなり、

「許せる」ときなのだろう