障害者になってからというもの「待つ」ことが多くなった
歩くのが遅いからどこへ行くにも1時間は早めに行って待つ
電車に乗り遅れそうになっても走れないから
仕方なく乗るのをあきらめて次の電車を待つ
そして痛みや痺れがきたとき、
ただひたすら耐えて痛みや痺れが通り過ぎるのを待つ
家族とも同じスピードでいっしょに行動できないから
家族には行かせて
適当なベンチで僕だけ待つ
人間にとって「待つ」というのは辛いものだ
仕事でも同じ
やるべきことをやって結果を待つ
待つときには焦りは禁物
焦りの心を持つと余計に苦しくなる
人事を尽くして天命を待つという言葉があるけれど
なぜに人間にとって待つということはこれほどにも辛いのだろう
どうせなら、、
待ったあとに希望が見えてほしいものだ
僕もはもうリハビリを続けて3年・・
3年間、リハビリを続けながらいつ回復するのか待った
そして今も希望を諦めず待っている
やるべきことをやり、
待ち続ければ希望は見えてくるのだろうか