「自分が地獄だと思う」のは、そして「人を憎んでしまう」のは「知らない」から

僕は半身麻痺になった当初、自暴自棄になっていました。

あるとき障害者の就職を斡旋する人に出会い、

その方から全盲の障害者の存在を知りました。

その全盲の障害者の方は20歳のときにある病気で全盲

なってしまわれたそうです。いわゆる中途障害者でした


光や色を失う人生なんて僕には想像を絶する絶望だと思っていたので

その人も当然、想像を絶する絶望感に苦しんでおられるとと思っていたのです。

ところが彼は目が見えないことを既に受け止めていて

その中で「出会う楽しさ」や「学ぶ楽しさ」を感じていました

更に驚くことに彼は小説家を目指して

毎日パソコンで文章を書き書物を読んでいるというのです

書くときは音声入力ソフトを使い読むときは音声ブラウザを使うというのです

更に彼は白い杖を携えながら「不便なことはあまりない」とまで言っていました。

目が見える僕には目が見えない人生に楽しさを見出すなんてとても考えられないことでした。

地獄そのものではないかとも思えました

ところが彼は僕に

出会いの素晴らしさや学ぶ喜びや小説を書く喜びに目が見ないことはあまり関係がない

ということを教えてくれtたのです。

僕はこの中途「全盲」の方の心が元気であることを「知る」だけで

僕には希望が湧いてきました。

僕が自分は地獄だと思っていたのは僕の想像力の欠如のせいだったのです。

僕の価値観なんて僕たった一人(地球なら64億人分の1)の知識とそれまでの経験から

作り出された小さな小さな、そして狭い狭い価値観でしかなかったことを思い知らされました。

この世の中には僕の知らないことがいっぱいあります。

出来るだけ多くのことを「知る」ことで心が強くなれることに気付いた気がします


これも僕が小学校のときに経験したことですが

僕は小学校の頃いわゆるいじめられっ子でした。

いじめといっても現在のような集団でひとりを「シカト」するというようないじめではなく

ドラエモンに出てくるジャイアンのような悪ガキがひとりいて、僕が恰好の的になって

いつも泣かされていたのです。

僕は当時なぜ彼が僕に意地悪するのかわかりませんでした



あるとき

僕(僕は長男でした)が4学年下の弟にちょっと意地悪していたら

その彼がやってきて、僕に対して激怒して殴りつけてきたのです

「お前!いつも弟に対してこんなことしてるんか!」と・・激怒しているんです

あとで分かったことですが彼自身、自宅でいつも兄貴に殴る蹴るの

暴行(いじめ?)を受けていたのです

そのうっぷんのはけ口が僕になっていたようなんです。

そのことが分かったとき「こいつも辛いんだな」と思えました。

その瞬間彼に対する憎しみのようなものがスッと消えたことを今でも覚えています。

つまり彼(相手)の状況を「知る」ことにより、「許す」ことができたのでしょう

僕が限界を感じ、自分が地獄だと思うのは僕の想像力が足りないだけ

僕が恐れていることや憤りを感じていることは

「知る」ことで許すことができ、心の地獄の中でも希望を持つことができる

そんな風に思うのである