期待こそが裏切りや憎しみや怒りを生む

期待する心こそが裏切りを感じる心を生むのではないだろうか

善人の善行は善行をすることで何も期待しないのだろうか

もし善行をすることで何かの見返りを期待してるとしたら

それは本当の善人といえるだろうか

僕も障害者でも人の役に立ちたいという気持ちに

本当に何の見返りも求めてはいないだろうか

見返りを求め、見返りがないと(それどころか何の評価もされない)と

怒らないでいられるだろうか


この世には悪があって当然であり、(古今東西、悪も善も存在するのがこの世である)

その悪とか裏切りとかがあるのが世の中の常であり、

それが人間の本質であると認識できたならば、

そしてすべての人間がいつかは病に冒され、老い死を迎え

いつかは苦しむのであると認識できたならば、

今の自分に起きたことも自分の身の回りに起きた災難も

全て許せるだろうに・・

全てを許し、ひとり静かに過ごすことができる日々を僕は送りたい


そのためにも今この身体でできる事を精一杯やろう

憎しみや怒りにうち震えても

どんなに痛くても、痺れがつらくても

今この身体でできる事を粛々とやるしかない。

期待をするから裏切りを生む・・いや感じるのだ

そして怒りや悲しみや憎しみまでも生まれるのだ

ただ何も考えず粛々とやるしかない