苦しみの根源と執着心

苦しみの根源は釈迦の言うとおりやっぱり確かに執着心だと思う

執着心といっても漠然としているけれど


あらゆる欲望(金銭欲、名誉欲、幸福欲・・等々)

こだわり、

思い入れ、

野心

希望や願いまでもが

執着であり、苦しみの原因ではないかと思う

そして

その執着している対象(愛する人かもしれないし、自分の状況かもしれないし、自分の誇る身体かもしれない)

を喪失することを人は最も恐れると思う。


その喪失への恐れこそが心に悲しみを生み、怒りを生み、憎しみを生み、そして人はうろたえる。

更に喪失してしまったとき、その怒りや悲しみや憎しみや怒りは頂点に達して人は暴挙に至るのではないかと思う。

暴挙とは人の心を傷つけるだけでなく自らの心をもを自ら傷付けること・・

自暴自棄になる・・

僕自身がそうだったから、、

僕が脳出血で半身麻痺になったときに執着していたもの・・

それは失って初めてそれに強烈に執着していたことに気付いた・・

・自分の会社
・多少自信のあった自分の身体
・父親としてのプライド
・夫ととしてのプライド
・自分の車
もっともっとくだらいものやまだまだ数えきれないほどのものに執着があったっと思う。

そしてそれらのすべてを失った

本当に執着心が僕を苦しめ、未来に焦りを感じさせた。

苦しいだけでなく、うろたえた。

自死したいと思った

そしてその(くだらない)執着心を捨てるのに3年もかかった

執着心を捨てることができた(たぶんできたと思う)今、

やっと小さな希望を持つことができ始めたように思う。

そして人生を冷静にやるべきこと

この身体でやれることだけ


捉われなく粛々とやれるようになってきたように思う

そんな今でも持っている(生身の人間だから持つのは仕方がない)

いろんな執着心を捨て去ることができたなら

きっともっと楽に且つ後悔のない人生を歩めるだろうに・・と思っている


「こうあってほしい」と願う心

相手(上司・配偶者、あるいは状況や自分の身体)にこうあってほしいと思う心が執着心であり、


その「相手」が「こうあってほしい」と思う状態でないときや

その状態を喪失するかもしれないと感じるときに苦しむのだろう。


僕にとっては健常者になりたいという望みさえも執着心であると思う

その執着心がある限り僕は苦しむ

そしてそんな苦しみが悲しみや怒りや悲しいかな相手に対する憎しみにまで変わることがある


本当は人間は皆優しいのにもかかわらず・・

難しいな・・人間の心って


前記事に書いたような人前で恫喝するような人も

きっと欲望に執着し、それに捉われ、それを喪失することへ

の恐れと苦しみの結果

冷静さを欠いた行動に出てしまい、強気に出て、周囲から恨みを抱かれてしまい

成功するつもりが結果として失敗に終わるのであろう。