生命力を信じるということ

僕は現代の医療を信じていないわけではないが

それよりも

とても非科学的な言葉かもしれないけれど

人間の持つ「生命力」というものを信じることにしている

それは今回の僕の脳出血と共に判明した「もやもや病」という

病気に対する覚悟とでもいうのか

この病気向き合って生きていくうえで必要だった事なのかもしれない。


僕の脳出血の起因は「もやもや病」とそれに加えて

加わったストレスによる高血圧である。

僕は脳出血後自分の脳出血がどういうものなのか、

そして今後自分がどうなっていくのかという不安の中で

自分なりに病態を調べた。

すると以下のような文献に出会った。。

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出血発症のもやもや病の長期経過観察:出血で発症したもやもや病患者の再出血
を起こしやすい年齢について

目的
再出血の予防は、出血発症のもやもや病の治療において最も重要なことの一つです。
しかし、出血発症のもやもや病の自然経過や再出血の特徴はよく分かっていません。

方法
出血発症のもやもや病の自然経過を調べるために1994年から患者さんで36人(12人
の男性、24人の女性)の長期経過観察の結果を検討しました.その平均観察期間は
12.7年で、年齢は2.9-27.0歳でした。

結果
36人のうち22人(61.1%)が再出血しました.29回の再出血がありました.再出血を
した患者さんの予後は、再出血をしなかった患者さんの予後よりも悪かった.多く
の患者さんで予後の悪い理由は再出血そのものによるものでした.統計的な検討では
再出血は、36歳以上という初回出血年齢が重要な因子でしたが、性別、高血圧、出血
の種類、初回出血後の状態は危険因子ではありませんでした。
初回出血をその後の再出血の期間はまちまちですが、再出血率や出血の回数は年齢が
46から55歳までの間が最も高率・高頻度でした。


結論
出血発症のもやもや病患者さんの予後不良を決定する最も重要な因子は再出血でした。
再出血は、年齢と関係が深く、患者さんの年齢が46から55歳に達すると最も高頻度に
なります。出血発症のもやもや病患者さんは神経学的に良好であっても一生、注意深く
経過観察をする必要があると考えます。
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この文献の以下3つの文章に僕は愕然とした。

※再出血は、36歳以上という初回出血年齢が重要な因子でしたが、性別、高血圧、出血
の種類、初回出血後の状態は危険因子ではありませんでした。

※再出血率や出血の回数は年齢が46から55歳までの間が最も高率・高頻度でした。

予後不良を決定する最も重要な因子は再出血でした。



つまり・・

再出血に高血圧は危険因子ではない=血圧管理は意味がない

出血の回数は年齢が46から55歳までの間が最も高率・高頻度⇒僕は46歳

しかも再出血の確率は61.1%!というのだ


要するにこの10年以内にどんなに健康管理していても46から55歳である限り

いつ再出血してもおかしくないのだ。更に再出血は予後不良を決定する最も重要な因子

ということは再出血は死を意味するに等しい

僕の気は動転した

10年以内の死を覚悟せねばならぬのか


この動転した気持ちを収めるために必要だったのが自分の「生命力」を

信じるということだった。

再出血の確率が統計上61.1%だろうが、46から55歳が最も高高率だろうが

僕の脳血管は破れない


そう信じるしかなかった。

でなければ心が崩壊してしまいそうだった。

だから必要だったのかもしれない。。

そして信じることで心がうろたえず、その心の安寧が身体にも本当に安定をもたらし

「とりあえず」この3年(間もなく4年)生きているのではないかと思っている。

そうはいうものの僕は今現在でもいつでも死の覚悟はしているつもりだ。

三途の川を跨ぎながら生きていると思っている。



更に生命力を信じことの大切さというか信じたいという出来事が

2年前にあった。

それは僕のこのモヤモヤ病が当時5歳の息子に息子に遺伝していたことが判明したときだ。

脳血管のバイパス手術をしなければならない。

まだ5歳の子供に・・にである。

万が一にでも外科医の手元が狂い、脳もしくは脳血管を傷付けたりしたら

それは息子の死を意味する。

このときはさすがに親としてかなり動揺した。

手術に踏み切るかどうか


踏み切らなければ、将来この子も僕と同じような運命(脳出血)をたどる可能性が高まる

悩みに悩んだ・・

それは苦悩であった。


なぜなら僕の病気が遺伝したことによる贖罪の意識もあった


すまない・・

申し訳ない・・

どうしよう・・

そして決断した。


外科医の腕は信頼していた

あとは息子の人間としての生命力だと思った。

このときも息子の人間としての生命力を信じようと思った。


そのときのICUの息子の映像だ。


もちろん僕は半身不随で痛み痺れていたが

そんなことはどうでもよかった。

術後、徹夜でICUに張り付いて看病して

心の中で「お前の生命力を信じているぞ」と唱えながら・・

その生命力とは一時流行ったスピリチュアルとかいうものとは全く別物だ。

僕はあんなものは一切信じない。


神様の存在も守護霊などというものの存在も一切信じない

あんなものは詐欺師のまやかし以外の何物でもないと思っている

僕が信じるのは

人間が本来持ち合わせている生きる力、つまり生命力だけである。

自分のそして家族の生命力を信じることで、心はうろたえず、安寧し、

結果として心身ともに力強く生き抜くことができるのではないだろうか