捉われ・・

捉われ・・

それは人を、僕を苦しめる

捉われ・・それは「こだわり」でもあり、あるいは「プライド」とも言う

こんな僕にも「こだわり」や「プライド」はあった。

学生の頃水泳選手だった僕はそれなりに体力には自信があった。

理系・技術系でありながら、経営コンサルタントの仕事の経験もあり、

小さいながら自分で会社も興したから

「経営者」という自負も多少あった

IT系に移っていたから時代の最先端を走っているという自負

それらはすべて障害者となったとき「捉われ」となって僕を苦しめた

なぜならそれらすべてを喪失したのだから

異常なほどに・・苦しめた。

何度も死のう思った

今でも同じである

一昨日コンビニで800円を恵んでほしいと

走り寄ってきたオッサンに腹が立ったのも

自分が障害者でも頑張っている

という「捉われ(自負?)」があったからだと思う


捉われはそれを否定されたとき、あるいは認めてもらえないとき

そして喪失したとき人を苦しめる。

その苦しみは怒りや悲しみに変わる。

そして怒りや悲しみは人を許せなくする

心が狭く小さくなる

だから「捉われ」はいけない。

「何事にも捉われない心」を持ちたいものだ。

しかし、障害に捉われている自分が今ここにいる

まだまだだな・・

そんあことじゃ「志」なんて言っている資格はまだないぞ

こんな小さなことに捉われているようじゃ

心の修業がまだまだ足りんな