感覚障害の世界

脳卒中による半身不随というとほとんどの人は

手足が不自由「自由に動かないlこと」

つまり運動麻痺をイメージするだろう。

当たり前か・・

でも脳卒中による障害とは運動麻痺だけではない。

それこそ1000人の患者がいれば1000種類の後遺症(障害)がある。

今日はその中でも第三者からはほとんどわかなない「感覚障害」について語ろうと思う。

運動障害なら足の動きや手の動きが明らかに健常者に比べてぎこちないのですぐわかるが

感覚障害については本人が口にするまでは絶対にわからないと思う。

たとえ口にしても正確に伝えることが難しいのがほとんどではないだろうか。

だからこそ

医療関係者にも理解してもらえない。

医療関係者に理解してもらえないから治療法(感覚障害のリハビリ手法)も確立できない。

そんな状況ではないだろうか。

今回僕は第三者、特に健常者にできる限り的確に伝わるのではないか

と思う表現で書いてみることにトライする。

僕が自分が「感覚障害」という障害のなんだと痛切に思い知らされたきっかけがある。

それはあるとき、といってもリハビリ病院から退院してしばらくしたときのことだった。

両親に車に乗せてもらって(僕は助手席に乗って「シートベルトをしてた」)

目的地に到着し、降りようとしたときだった。

車のドアを開け、足を一歩前に出し前に出ようとしたときだ!


どうしたことか!


身体が前に出ないのだ!!


実に不思議な感じだった。

何か目に見えない壁があるような感じでもあり、

背中全体を誰かに引っ張られているような感じでもあった。

それで・・

誰か引っ張っているのかと思い、

後ろを振り向いたら、

な、なんと麻痺手の左手がシートベルトに絡まっているではないか!

だから動けないだ!

それがわからない!



つまり感覚がないために


僕にとっては


左手に絡まっているシートベルトは存在しないに等しいのだ!

これが感覚障害の世界なのだ。

こんなことは日常茶飯事だ。

人の多い混んでいるショッピングセンターなんかに行くと悲惨なものだ。

麻痺側の左側が人にぶつかってよろけても

なぜよろけたのかわからない・・

だってひとにぶつかったという感覚がないのだから・・

僕にとってもっとも困るのが

おしゃべりに夢中になってよそ見をしてぶつかってくるおばちゃんや女子学生

・ぶつかってきたくせにいやな顔をされる・・本当に困る


こういうぶつかったおばちゃんや女子学生すら僕にとっては存在しないのだから・・

これって・・・

こういう自分が・・

結構つらい。

なんだかきちんとした人間じゃなくなったみたいな気持ちになってしまう。

これが感覚障害の世界だ。

それでも生きていけるんだな。。残った感覚だけで・・

人間って強いなぁ・・って我ながら思う。

これに比べれば運動麻痺なんて大した障害じゃないように思える。

感覚障害のない運動麻痺だけの人がうらやましいと思うくらいだ。



だって感覚がないということは

目の前に存在するはずのものが存在しないに等しい

のだから・・

それで僕は思うことがある

僕が死んだらきっと世界は消滅するのだ。

それは「自己中心」というような意味ではなく



死によって

全ての感覚がなくなる事=世の中の全ての存在の消滅

だと感じるからだ。