僕は半身麻痺になった。
左手は「全廃」で全く使い物にならない。
ごはんを食べるときお茶碗も持てない。
ナイフとフォークの食事は不可能だ。
歩くのも杖が必要で遅い。
これらは確かに不自由だ。これも辛いといえば辛い。
でも僕にはもう一つ辛いことがある
視床痛という痛みと痺れだ。
左半身は常に一皮めくれて風にさらされているような痛みと痺れだ。
手足が不自由で動かないのとどっちが辛いか
僕は断然視床痛の方が辛い。
だって不自由は「工夫」でどうにでもなる
でもこの視床痛の痛みと痺れはどうにもならない
気が変になりそうになる。
僕はいつも思うのだがあの「五体不満足」で有名な乙武さん。
確かに四肢とも非常に短く大変な「不自由さ」だろうと思う。
でも乙武さんには僕のような四六時中の痛みはあるのだろうか
もし無いのなら、
(本当のところは分からないけれど)僕は乙武さんの方が楽なのではないかと思うのだ。
「痛み」というものだけは第三者には外見からは全く分からない。
だからどんなに激痛に苦しんでいても「大丈夫か」という声さえもかけてくれる人もいない。
手足から出血でもしていたら別だろうけど・・
こんなとき、ひとり孤独に闘っていると感じる・・
誰も気付いてくれない・・これは強烈に寂しい
人ごみの中にいるのに孤独を感じる瞬間だ。
左手は「全廃」で全く使い物にならない。
ごはんを食べるときお茶碗も持てない。
ナイフとフォークの食事は不可能だ。
歩くのも杖が必要で遅い。
これらは確かに不自由だ。これも辛いといえば辛い。
でも僕にはもう一つ辛いことがある
視床痛という痛みと痺れだ。
左半身は常に一皮めくれて風にさらされているような痛みと痺れだ。
手足が不自由で動かないのとどっちが辛いか
僕は断然視床痛の方が辛い。
だって不自由は「工夫」でどうにでもなる
でもこの視床痛の痛みと痺れはどうにもならない
気が変になりそうになる。
僕はいつも思うのだがあの「五体不満足」で有名な乙武さん。
確かに四肢とも非常に短く大変な「不自由さ」だろうと思う。
でも乙武さんには僕のような四六時中の痛みはあるのだろうか
もし無いのなら、
(本当のところは分からないけれど)僕は乙武さんの方が楽なのではないかと思うのだ。
「痛み」というものだけは第三者には外見からは全く分からない。
だからどんなに激痛に苦しんでいても「大丈夫か」という声さえもかけてくれる人もいない。
手足から出血でもしていたら別だろうけど・・
こんなとき、ひとり孤独に闘っていると感じる・・
誰も気付いてくれない・・これは強烈に寂しい
人ごみの中にいるのに孤独を感じる瞬間だ。