痺れが作るセピア色のバーチャルな不快だけの世界

僕の左半身はいつも痺れている

「痺れ」という表現が適切かどうか自分でもわからない

原因は感覚障害によるものだろう。

あえて自分なりに表現を考えてみた

良さそうな表現が見つかった。

左半身全体の皮膚がすべて一皮めくれ
風にさらされている 感じ、、

である

だから冷たい風は滲みるように痛い

冷たい金属に触れると激痛が走る

我ながら的確な表現だと思う。

とにかく言いようない不快感であり苦痛である

杖をつきながら、無理して少し距離を歩くとこの不快感が倍増する

一皮が二皮、三皮めくれる感じだ。
そうなると左脚の感覚まで分からなくなってくるほどなのだ。
痺れ過ぎて脚の向いている方向さえ分からなくなる

そしてそれは 脚から徐々に上に上がってくる

その「痺れ」が、左頬までおよんできたとき不快感は最高潮に達する

このとき、僕の心まで蝕み始める。
そしてそのとき僕に見える世界は
幻覚のように感じる

「不快の世界 」に入り込んでしまたような感じなのだ。

目の前に広がる景色がセピア色に感じる。

まるでバーチャルな世界のように感じる

辛くて

辛くて

辛いだけの世界

こんなとき僕の心はネガティブになってしまう

何もかもネガティブに考えてしまう。

そう

これが僕を苦しめる感覚障害の痺れの苦痛だ。

初めて的確に表現できたような気がする

こんなとき、僕は心の奥底で、

こんな苦痛は

こんな不自由は

夢であって欲しいと願っている

そんなもがき苦しんでいる自分がいる


でもそんな「不快の世界」から一瞬解放してくれるモノが一つだけある。

それは息子の「パパ!」という一声なのだ。
その瞬間が唯一、不快の世界の扉がひらき、セピア色の不快な世界がカラーの現実感のある世界に変わる(戻れる?)瞬間なのだ。
無垢な我が息子には不思議な力があると感じる。

現代の医療ではこの不快を治癒するのは難しいと聞く。
この苦しみから逃れる術はひとつしかないのではないか?


死である。
いわゆる尊厳死、、Living willである。

世界では(特にオランダやアメリカ)ではこのLivingwillが末期がんにみとめられている。こういった疼痛にみとめれていないのは、単に理解が不十分だからなのではないだろうか。

この世にドクターキリコが実在して欲しいとねがってしまうのはぼくが単に弱い人間だからだろうか?

そして僕だけだろうか?

もう3年間耐え続けたよ。

あと何年耐え続ければよいの?

許してくれるの?







ならば