障害者になることによって「空」になれたのかも知れない。

最近思う・・

僕は障害者になることによって「空」になれたのかも知れない。

いや「空」にほんの少し近づけたのかも知れない。

倒れる前の健常者の頃の僕は小さな会社のくせして、

少し驕っていたかもしれない。

経営者気取りで・・

自分は何か大きな経済的成功でもできると錯覚していたのかも知れない。

それは「欲望」によるものだったような気がする

銀行から身の丈に合わないかなりの借り入れをして、

目の前にかなりの会社の預金があることをいいことに

生活も放漫になっていた気がする

そんなお金、自分の実力でも何でもなくただの借金に過ぎない事に気付かずに・・

でもそれが今、

会社もなくなり、お金もなくなり、身体の機能まで無くなってしまった。

あるのはこの何もできない障害を負った身体だけ。。

今の自分は本当に智力も体力も何もない。

そうなってはじめて他人の力を他人の智力や体力を

借りなければならないことに本能的に気付いたような気がする

そのためには自分の欲望を前面に出すわけにはいかない事にも気付いたような気がする

そして何もできなくなった今、初めて

自分の欲望が「人の役に立つ人間でありたい」という気持ちに変化したと感じる。

この障害を負った何もできない自分が

いったいどうやって「人の役に立てる」のか?

自分の力ではどうにもならない。

だからある意味自分を捨て無とか「空」にならなければならないことに気付いたように思う。

自分には智力も体力無いけれど自分が「空」になることによって

他の人の智力や体力が寄ってくるのではないかと・・

人間一人の智力や体力なんてたかが知れていることに障害者になって初めて気が付いたような気がする

そしてそれが自分を限りなく「空」に近づけることによって他の人の智力や体を貸していただけるのではないかと・・

そのことによって以前の欲望とはまた違った「人の役に立つ人間でありたい」という志に近づくことができるかもしれないと・・

僕は障害者になることによって仏教でいう「空」にほんの少し近づけたのかも知れない。

これは神様が与えてくれた試練かもしれないと

やっとこれもほんの少しそんな風に思えるようになったと思う。

そして僕の世界は確実に広がってきているるように思う。

健常者の頃より・・

皮肉なものである・・