僕は大自然(大宇宙)の力の中で生きている(生かされている)

脳卒中という病気になって思うことがある

先日息子とプラネタリウムを見に行って久しぶりにこの大宇宙について考えた。

若いころ、子供の頃夜空を眺め、思ったものだ。

宇宙ってなんて大きいのだろう。。

その「無限」という人間には想像もつかない果てしない大きさにある意味怖れまで抱いたものだ。

それが成長し、大人になり人間社会という世の中に入り込んでいくうちに・・

忘れていた。。

大自然の大きさとその偉大な力のことを・・

宇宙だけでなくこの地球の大自然だって人間の力ではどうしようもない、考えられないような力で形作られている。

山あり、谷あり、川あり、大海あり、

これらはすべて何か人知を超えた大きな力によって形作られている。

そしてその中に棲む生き物たちも鳥は鳥、犬は犬、人間は人間とかんがえてみればそれぞれの「運命」は

初めから人知を超え、形作られ、設定されているではないか。

これは人間の生き方の善悪とは全く関係がく決まって運命付けられている。

その人間の中でも、個々にみれば、ひとりひとり違った形に運命付けられている。

生まれつき声の良い人もいれば、手先が器用な人も、数学に強い人もいる。身体の強い人もいる

そうかと思えば、生まれつき身体が弱く病気がちな人もいる。

生まれたときは上丈夫な身体でも途中で病に倒れる人もいる。

人の人生の90%以上はそうした運命のようなものによってきめられているような気がする。

残りの10%以下が人間の知恵や才覚で左右できるくらいのものではないだろうか

そんな風に思えば僕が脳出血で倒れ、障害者という人生を歩まなければならなくなったことも

人の力ではどうしようもなかったことなのかもしれない。

そう考えれば人間の人生、得意に奢らず、失意にら落胆せず、ただ粛々と淡々と謙虚に生きていくべきでないか

人の人生の道筋にはそういった決められた道があり超えるべき峠があり、人間は有無をいわず、

それを超えていかなければならないのではないか

一つの人生の峠を越えてホッと息をついたら、また次の峠が控えている。

振り返って僕自身、これまで実に多くの病の峠をこえてきたものだと思う。

生まれて3か月で肺炎を患い、余命1か月の宣告を受けたにも関わらず、

医師の宣告をもいつしか乗り越え、いつの間にかすくすくと育った。

4歳で腸の病気で手術を受け、8歳で交通事故に遭い命も危なかった大怪我、

あとは順調かと思いきや、中学おときに心臓疾患を患い、それ以来20年近く心臓発作に苦しんだ。

36歳でやっとその心臓疾患の治療法が開発されたと聞き、手術を受け完治・・

もうこれで大丈夫かと思いきや45歳で今度の脳出血である。

こうやって振り返ってみると、自分の意思ではどうしようもなかった人生の峠をいくつか乗り超えてきているではないか

人生ってとめどもなく峠が続いているものだと思う。

本当に果てしない旅路である

これもこの大宇宙の、そして自然というか目に見えない大きな力によって作りこまれたものであると思う。

今回のそ脳卒中も人間の知恵や才覚などではどしようもない。避けることはできなかったのではないだろうか

どうせ避けることができない峠なのであれば、人間はただ懸命にその峠を超えるために歩むほかはない。

高い峠、低い峠、荒れた峠、時には雨に降られ、風に吹かれ、難渋の重い脚を引きずらなければならないこともあろけれど

ただ懸命に峠を超え、歩めるだけ歩むほかはない。

自分に与えられた(決められた)人生に愚痴を言っていても何も前に進まないだけだ。

ただ目の前にある大きな大きな峠に向かって超えることができるかどうかわからないほどの大きな峠であっても

いつか超えることができると信じ、前に向かって歩むほかはない。

たとえそのゴールが

生きとし生けるものすべてが避けることのできない「死」であっても・・


前に向かって歩むほかはない。。。。粛々と目の前の峠に立ち向かって行こう。

それが僕の人生である限り・・