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剣道で面に小手、胴をつけて竹刀で試合をしている間は
いくら真剣にやっているようでも、
まだまだ心に隙がある。
打たれても死なないし、血も出ないからである。
しかしこれが木刀で試合をするとなるといささか緊張せざる得ない。
打たれれば気絶もする。死ぬこともあり得る。
増してや真剣による勝負となれば、一閃が命にかかわる
勝つこともあれば負けることもある。
などと呑気なことは言っていられない。
勝つか負けるかどちらかひとつ負ければ生命が飛ぶ。
「真剣」とはこんな姿をいうのである。
人生は真剣勝負である。だからどんな小さなことでも
生命をかけて「真剣」にやらねばならない
もちろん窮屈になる必要は少しもない。
しかし、
「長い人生ときには失敗することもある」
などと呑気にかまえていられない。
これは失敗したときの慰めの言葉で
、
はじめからこんな気構えでいいわけがない。
真剣になるかならないか、その度合いによってその人の人生は決まる。
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以上は僕の最も大好きな、そして大切にしていた松下幸之助の語録の一節である。
健常者の頃から会社の経営がうまくいかないとき、
周囲の環境や他人のせいにしがちになる自分の心の戒めとして
自分は松下幸之助さんのいうような「真剣」な姿勢で経営に臨んでいたか?
などと自分に問うていたものである。
今、こうして障害者になって
毎日が生きるのに必死である。
歩くという事でさえ、その一歩一歩が慎重且つ一生懸命である。
ちょっと気を許せば転倒する危険があるのだから、、
転倒したら最後、左手は麻痺しているので
手をついて支えることができないから
顔面もしくは頭部が地面に直撃するであろう。
地面がコンクリートだったら死に至るかもしれない。
だから「歩く」という事でさえ必死である。
健常者のときには考えられなかったことだ。
日々の生活自体が必死である。
そういう意味では少しは松下幸之助さんのいう
「真剣な人生」に近づくことができたのかもしれない。
障害者になってから・・
はじめて・・「真剣」になれたのかもしれない。
いや近づけただけかもしれない。
皮肉なものである
剣道で面に小手、胴をつけて竹刀で試合をしている間は
いくら真剣にやっているようでも、
まだまだ心に隙がある。
打たれても死なないし、血も出ないからである。
しかしこれが木刀で試合をするとなるといささか緊張せざる得ない。
打たれれば気絶もする。死ぬこともあり得る。
増してや真剣による勝負となれば、一閃が命にかかわる
勝つこともあれば負けることもある。
などと呑気なことは言っていられない。
勝つか負けるかどちらかひとつ負ければ生命が飛ぶ。
「真剣」とはこんな姿をいうのである。
人生は真剣勝負である。だからどんな小さなことでも
生命をかけて「真剣」にやらねばならない
もちろん窮屈になる必要は少しもない。
しかし、
「長い人生ときには失敗することもある」
などと呑気にかまえていられない。
これは失敗したときの慰めの言葉で
、
はじめからこんな気構えでいいわけがない。
真剣になるかならないか、その度合いによってその人の人生は決まる。
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以上は僕の最も大好きな、そして大切にしていた松下幸之助の語録の一節である。
健常者の頃から会社の経営がうまくいかないとき、
周囲の環境や他人のせいにしがちになる自分の心の戒めとして
自分は松下幸之助さんのいうような「真剣」な姿勢で経営に臨んでいたか?
などと自分に問うていたものである。
今、こうして障害者になって
毎日が生きるのに必死である。
歩くという事でさえ、その一歩一歩が慎重且つ一生懸命である。
ちょっと気を許せば転倒する危険があるのだから、、
転倒したら最後、左手は麻痺しているので
手をついて支えることができないから
顔面もしくは頭部が地面に直撃するであろう。
地面がコンクリートだったら死に至るかもしれない。
だから「歩く」という事でさえ必死である。
健常者のときには考えられなかったことだ。
日々の生活自体が必死である。
そういう意味では少しは松下幸之助さんのいう
「真剣な人生」に近づくことができたのかもしれない。
障害者になってから・・
はじめて・・「真剣」になれたのかもしれない。
いや近づけただけかもしれない。
皮肉なものである