絶対的不幸・絶対的悲しみ・絶対的な貧困は存在しない

僕は左半身麻痺である。

そのことは絶対的不幸

絶対的悲しみ

そうではない。

なぜなら、


例えば、、


僕は丼を食べるとき最後の米粒を丼ばちを持って口に掻き込めない。

それは絶対的悲しみか?

そうではない。


周囲のほとんどの人が丼ばちを持って口に掻き込める

僕だけが掻き込めない。。。

だから悲しいのだ。

周囲の人々も僕と同じように

最後の一口はスプーンを使わなければ食べられないのであれば

僕は自分を悲しいとは思わない。情けないとも思わない。

その悲しみとはあくまでも相対的な悲しみなのだ。

貧乏も同じだ。


周囲が液晶薄型テレビを持っている。

でも自分だけが持っていない。

だから惨めだと感じる。

縄文時代の人がテレビを持っていないからと言って惨めだと思うだろうか。

勝つ人がいれば必ず、負ける人がいる。

勝った人がいるから負けた人は悔しい。

喜びも悲しみも苦しみも心に感じるすべての喜怒哀楽に絶対的なものは存在しない。

僕の障害の苦しみも悲しみも絶対的なものではない。

あくまでも相対的なものなのだ。


だとしたら(絶対的苦しみの感情でないとしたら)、抜け出す方法があるのではなかろうか。