不安と希望

不安・・

人間はなぜ不安になるのだろう

こんな身体になってしまったせいだろうか


やはらと不安になることがある。

それは怖れにも近い言いようのない不安である

2種類の不安があると思う



一つは未来が予測できない不安、原因の分からない不安であると思う

こいつも厄介である。


今の世の中(今だけではなく過去もそうだったはずだけど)

不確実性に満ちている。

そんな不確実性からくる不安とで言うのだろうか

不安の原因がはっきりしない

そんな不安である


根拠のある不安は楽である

なぜなら原因がはっきりしているからである。

その原因のを除けば、不安は解消してしまう。


特に近年はメディアの発達やインターネットにより

人間には処理しきれないほどの情報過多状態であると思う。

そんな中でネガティブなニュースが多いように「感じる」

自然災害、戦争、テロ、経済不況・・数え上がればキリがない。

そんな情報がトリガーになって不安な気持ちになることがある

こういった不安は原因がはハッキリしない。

情報過多で問題が処理し切れず、不安の原因が明確にならない。

自分でもなぜ不安になるのかわからない。

僕の場合、今の半身不随の身体でどこまで生きていけるのかという不安もある

今、僕は幸いにして、自分なりの希望や志を持つことができている。

脳出血で半身不随となった時には、不安と絶望のどん底であった。


小さいながら会社の社長であった僕は、それなりに銀行からの借入金

数千万円があった。

当時、ベッドから立ち上がることで精一杯だった僕、、、

会社は、清算する以外に方法はなかった。

そんな身体で社長業を継続するなんて、到底不可能だと考えたからだ。

会社の清算・・

それは身体障害者の上に無職無収入になることを意味する。

おまけに会社の借入金数千万円はすべて社長だった僕の個人保証だったので、

すべて僕が返済しなければならない状態だった。

無職無収入、身体障害者、数千万円の借金

それだけで絶望のどん底であった。

底知れない自分の未来への不安と恐怖でいっぱいだった。

今後どうなるか。まったくわからない。

僕の未来は明らかに、「不確実」であった。

それが、僕の心の不安ばかりが増幅してきた。

その不安も明確な原因が分からない状態になってきた。

死んでしまいたい。。。

何度もそう思った。

でも僕は、どうすればいいのか必死で考えた。

必死で考えたけれども、何も妙案は出てこなかった。

毎夜毎夜、いろんなことを考えた。


その結果、ふと思ったことが、

そもそもこの世の中自体が不確実性に満ちているではないか。

不安ばかり考えていたところで、

その不安が現実化するかどうかさえも不確実ではないか。

夢や希望が不確実なら、不安も不確実ではないか。

それは決して現代だからという訳ではない。
 
この世の中というものそのものが昔から古今東西不確実ではないのか。

ほとんどの人間は、(癌などの病気でない限り)

明日自分がで死んでしまうとは思っていないと思う。

「明日自分の生きている」という確信に近い希望を何の根拠もなく持っている

しかし現実にはその希望も不確実ではないだろうか。

そんなふうに思っていることができるからこそ人は前向きに生きていけるのではないか


だとしたら、


(何の根拠もない)夢や希望を心の中に持っている方が得ではないか。

そんな考えに至った。。


そこで僕は、

半身不随という障害者だけれども、世の中の(少なくとも家族の)役に立つ人間になりたい。


そうでありたい。


そうなろう、


そうなれる。

絶対になれる


そう思うことにした。

そしてこの半身不随という「この身体で何ができるのか」だけを必死で考えた。

とりあえずできることから始めた。

幸い僕はIT系の人間だったので、右手だけでもPCはなんとか使うことができる。

それを駆使しようと思い、そこからスタートした。

そうしてなんとか環境技術のデータベースサイトを作成し、ネット上から入手できる環境技術を

ただひたすらデータベースに登録していった。

そのこと知り合いに伝えたところ、そこから、広がりを見せ始めた。

そして今、大きな夢と希望を、志を持つことができるようになっている。

いつの間にか・・・

である

僕がここまでくることができたのは、たとえ根拠がなくとも、自分なりの夢と志を捨てなかったこと。

それと周りとの「つながり」のお陰だと思っている。

原因が分からない。根拠のない不安を持つことは

人間の心をとても悪い方向に持っていかれてしまうと思う。

いわゆる「漠然とした不安」である。

あの芥川龍之介自死する前に語ったということでも有名である「漠然とした不安」である

不安の原因が分からない。

だから対処のしようがない。

だからますます不安が増幅してしまう。

こうなってしまうと、そこから抜け出せない。

こんな時、自分が不安に思っている原因は何かを追求しても仕方がないと思う。

そもそもの原因が分からないのだから、いくら追求しても何も原因は出てこないのだ

これは僕の経験からのことなので、ぼくだけに当てはまるのかもしれないけれど、

原因を追求することよりも、その不安を大きく上回る「夢や希望」を思うことが大切だと思う。

よく精神科医心療内科の先生は、不安やトラウマの原因を突きとめようとする。

でも僕はそんなことはしても意味がないのではないかと思う。

原因を追究する過程で、「不安」について深く考えなければならないのだから、

余計に、不安が増幅してしまうのではないかと思うのである。


それよりも、「夢や希望」を思うことで不安を打ち消してしまうことの方が大切なのではないかと、

思う。 一旦「夢や希望」を思うと心が前向きになり始め、ネガティブスパイラルから

抜け出すことができ、ポジティブスパイラルに入り込むことができるのではないかと思う。

つまり

前だけを見て、後は絶対に振り向かない


ということではないだろうか

結果として、心の中に知恵が沸き始め、新たな創造が生まれてくるのではないだろうか。

そこから、本当の希望への道が出来てくるのではないだろうか

不安に根拠がないのなら、夢や希望にも根拠なんて必要ないのではないだろうか

この世の中に確実な夢や希望なんてありはしない。


だとしたら、

根拠なんかなくても夢や希望を持つことの方が得ではないか。

結果として知恵と創造が生まれ、根拠がなかった夢や希望が現実のものにできるのではないだろうか