まだ思考と行動のギャップに苦しむ自分

思ったように行動できない。
苛立ちがつのる
左半身麻痺になってからもう3年も経つというのに、まだ思考とできる事とのギャップが激しく解離している。
「心の中ではもう健常者じゃないのだから、
ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、」と 自分を
言い聞かせてきたのだけれど、、

思考のほうが先走る、、
思考先走り、身体が付いていけないと

焦る、苛立つ、
そんな焦りから 怒りが沸き起こる。

そしてそのうち、怒りが悲しみに変わる。

無視無欲、無視無欲、無視無欲、

焦る自我を
怒る自我を
悲しむ自我を
無くしてしまいたい。
思考に身体か付いて行けないときに限って、
健常者だったら
こうできるのに、、
こうできたのに、、
間に合ったのに、、
間に合えば上手くいったのに、、

身体の動きが遅いせいでタイミングをはずしてしまうから上手くいかない苛立ち。

老いるという事はこういう事かも知れないと感じる
老いは20年、30年かけて、徐々に身体の動き鈍くなってくるから受け入れられるのかも知れない。
僕はある日突然、身体の自由が思考通りに「思うように」 動かなくなったから受け入れる事が難しいのかも知れない、

まぁ、そんな事、考えても仕方がない。

思考通りに動かないものは 動かない

それは現実なのだから、、
考えても何も変わらない。
動くようになるわけでもない。
以前のように海を泳ぎ回れるようになるわけでもない。

今できるスピードで、創意工夫してできるようにするしかない。

3年も半身麻痺と付き合っているのだからそんな事分かっているけれど、

ダメだなぁ~

苛立つ
たからそんな自我を僕は無くしたい。

でも、、

無理だよな。

自我を無くすなんて、、、

仙人じゃああるまいし、

それでも、

無視無欲、無視無欲、無視無欲

と唱えるだけで少しは自我が

消えるようなきがする

そして気持ちが不思議と落ち着いてくる。

「無視無欲 」

生身の人間だからそんな風になれっこないけど
それでもこの言葉は僕にとって
大事な大事な呪文、、

僕だけの、、


なぜって、、

何よりも、どんな慰めや勇気付けよりもこの言葉を唱える事が心が安らぐからさ、、
心に勇気とやる気が湧いてくるからさ、、

僕だけの

僕だけの、

人前では決してみせない 大事な呪文なんだ。