不 安

ときどき不安で不安でたまらなくなるときがある.

こんな障害を持った身体で、このまま歳をとっていったらどうなるのか、


今は、40歳代だから、健常な右半身が丈夫だから、なんとか生きていけるけれど

この右半身が、老人になったとき、左半身を支えることができるだろうか。

今は、右手だけで、タイピングをして、いろんなことができるけれど、

このようなことがいつまで続けることができるだろうか

不安を考え出したらきりがない。

なぜ人間は、不安になるのだろう。

生きとし生けるものの中で、人間だけが未来を予測し、それに対処するよう準備をすることができる。

そしてその未来が予測できなくなったとき、人間は不安に陥るのではないだろうか。

そもそも完全な未来予測などできるわけがない。


世の中は不確実性に満ちている。

しかしその不確実性自体、自然の摂理ではないだろうか


春が来れば花が咲く、秋になれば葉は枯れ落ちる

芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実を結ぶ

そしてかれるべきときには枯れてゆきやがて死を迎える

自然の摂理に従った素直な態度である。


そこには何の私心もなく、野心もない。

無心である

だから自然は美しく秩序正しい

しかし困ったことに人間はそうはいかない。

こういった自然の摂理に抗おうとする。

素直に自然の摂理に従おうとしない。


死を恐れ、枯れる(老いや病になる)ことを

怖れ抵抗しようとして苦しむ。

予測できない未来を予測しようとして不安に自ら陥る。

どちらにせよ、いずれ死を迎えるにも関わらず・・

自然の摂理に素直に向き合い、

そういった自然の摂理(病・老い・死)に従う覚悟を

決めることができれば不安に陥らずに済むのではないのだろうか。

要するにどんな未来が来るにせよ「従う覚悟」ができさえすれば、

不安になどならないのではないだろうか。

自分にはまだそのような本当の意味での「覚悟」ができていないのだろう。

だから不安に陥るのだろうと感じる。

再出血の確率の高い僕、そう遠くない未来にいずれ来る「死」

覚悟は決めているつもりだったけど、

その「覚悟」さえ決めていれば不安になど陥るはずがない。

不安に陥るなんてまだまだ「覚悟」が足りない自分だと思う。

不安が焦りを生み、焦りが判断を狂わせてしまう。

覚悟は決めているつもりだったのに・・