「絆」と全く予測不能な僕の人生

人生とは不思議なものである

特に僕の人生、自分で言うのもなんだけれども

全く予測不能な人生を送っている。

昔、今の自分を予測することは全く不可能だった。

自分の人生が予測できないのは誰しも同じだと思うけれど、

それにしてもこれほどまでに波乱万丈になるとは・・


今、僕はなぜかある地方自治体のメガソーラープロジェクトファンドのプロジェクトファイナンス

の組成に取り組んでいる。原発事故の問題により現在脚光を浴びつつあるメガソーラーによる

エネルギー供給システムの実現をしようとしているのだ。


僕は大学卒業後はある大企業の一人のエンジニアにすぎなかった。

口下手で、生真面目なサラリーマンだった。

それが何を思ったか大企業をスピンアウトし、

全くエンジニアとは畑違いの経営コンサルタントの会社に転職してしまった。

それからインターネットの普及に合わせて気に入ったのはIT系の会社だった。

そして自分で事業を起こしてしまった。

今から考えてももともと口下手で、生真面目な僕には無茶な行動だったと思う。


案の定、営業が苦手な僕は経営に苦しんだ。

生真面目さも手伝ってか会社の資金繰りに精神的に参ってしまいそうになっていた。

そこに襲ったリーマンショック

売り上げダウンによる強烈なストレス

その結果として血圧上昇・・

もともともやもや病という基礎疾患があったとは言うものの

血圧190にはさすがに脳血管が持ちこたえられなかった。

そして脳出血で事務所で倒れた。

倒れた当初は左半身はその存在さえわからないくらい「完全麻痺」状態だった。

ピクリとも動かない左半身。。

左手は全廃・・

6カ月間リハビリテーション専門病院でリハビリをしたものの


結局、100メートルも充分に歩くこともできない障害者となってしまった。

でも僕は社長だったから、労災は出ないし、会社の銀行からの借入金も

返していかなければならない状態だった。

そんな体では到底経営に行き詰まっている会社の社長業を続けるのは不可能だった。

仕方なく会社は清算(破産)そして社長として借入金の保証人になっていた僕自身も

自己破産した。

この時点で僕は「僕の人生はも終わった」と感じた。

全く未来の見えない状態だった。

身体が動かない。それだけでなく左半身は中枢性疼痛でいつも痺れ、

痛みが走り、24時間体調が悪い。

そんな状態で40歳半ばを超えた身体障害者に仕事があるわけもない。

絶望的な状態だった。

もう終わりだ。本当にそう思った。

でも心のどこかで「こんな体でも人の役に立ちたい」という気持ちが芽生えきた。

そして入院中の病室でプランニングし、やり始めたことが今、

驚くべき展開を見せている。


数10億単位のプロジェクトファンドを組もうとしているのだ。


この僕が・・・である


一介の口下手なエンジニアだった20歳代の頃の僕からは絶対に、絶対に想定できない展開だ。


本当に人の人生ってわからないものだと思う。



振り返っているとここまで「復活」できた最大の要因は

信頼できる友人(人脈といってもいいかもしれない)が

いつのまにか存在しており、こんな身体の僕をバックアップしてくれたことだと思う。

知らぬ間にできていた「人とのつながり」、、


「絆」といっても良いだろう。

それが僕をここまで「復活」させてくれたのだ。


だからこそ僕はこれからも「つながり」を「絆」を大切に生きいきたいと思う。

であった当初はそんな大切な人脈と思っていなかった人々がいつのまにか

太い太い、そして僕にとって大切な「絆」になっていたのだ。

「人は一人では生きていけない」とよく言うがまさしく痛感する


大して能力もない身体障害者の僕がここまで来ることができたのは

100%周囲のバックアップのおかげだ。

これだけは断言できる

僕はこれまで以上に「絆」のために生きる。