苦しみが続くからこそ希望を持ち続けることができる

一昨日、ある年配の人とお話をしていたとき、

岡下さん、脳卒中を起こしたことはあなたの人生の転機だったと思える

ときがきますよ。きっとそれはあなたが事業を成功されたときですよ。

そのころには「あの時が自分の転機だったのだなぁ」という風に思えると思いますよ


そんなふうに言われた。



でも僕はi今、残念ながら違うと感じている。

なぜなら僕の病気は「後遺症」だからだ。


どんな病気にしても(癌などの不治の病以外は)いつか必ず治癒する。


その病気をしているときは人生最悪の時だと感じていてもそれがきっかけで

人生が大きく変わる人もいるだろう。

そんな人にとっては病気が人生の転機だったと思えるかもしれない。

それはその人にとっては「病気が過去になってしまった」のだろう。

でも僕は、後遺症だからいつまでも「病気が過去にならない」のだ。

脳出血を起こしたのはもう3年前だ。

この3年間ずっとリハビリを繰り返してきたけれど、


今も僕は障害者なのである。


けっして過去にはなっていない。

僕もこれまでいろんな病気をしてきた。

腸閉塞による手術

心臓WPW症候群とその手術

幼児期には肺炎によって死にかけた。

でもどの病気も全て確かに「過去」になってしまっている。


しかし今回に限っては違う。

脳出血を起こしてもう3年になるけれど、

今がまだそのとき(病に苦しんでいる瞬間)なのだ。


だからこの先もずっと左半身麻痺とその痛み痺れとは永遠に付き合って

いかなければならない。

僕にとってこの病気は決して過去にはならないのだ。


それでも、僕は思う


この苦しみがあるからこそ、僕の心は希望を持とうとするのではないか。

そんな希望なんて何の根拠もありはしない。

でも希望を持つことによってこの苦境をいつか必ず乗り越えることができるじゃないか

という風に自分自身が前向きになることができる。

不安にも希望にも何も根拠なんてない。

希望に根拠なんて必要ないのかもしれない。

希望に必要なのは自信なのかもしれないと思う。

例えば明日自分が交通事故で死んでしまうとか

通り魔殺人に出くわして殺されてしまうなどと思っている人も

ほとんどいないだろう。

こういうこと自体、何の根拠もない希望であり、自分に対する自信ではないか。

そういう希望や自信を持てずに、

明日、自分は交通事故に遭って死んでしまうかもしれない。

強盗殺人者に出会って殺されてしまうかもしれない

などと思っていたら生きて行くことはできないだろう。

要するに希望に根拠なんて必要ないのだ。

希望に必要なのは自信だと思う。

それも根拠のない自信だ。

それがあるから人間は苦しい状況を乗り越えていけるのではないだろうか。

前述のように多くの病気、つまり後遺症はいつまでも続く

つまりこの半身麻痺という苦しみは永遠に続く。

だからこそ苦しみから逃れるため(苦しみを乗り越えるために)

希望も永遠に持ち続けようとするだろう。

逆説的だが苦しみが続くからこそ希望を持ち続けることができるのかもしれない

僕の人生がこの世の中がユートピアのようだったら希望なんて持つ必要ないのだから・・

だからこそ、普通の健常者より大きな大きなバカげたような希望や志を持つことによって

苦しみから逃れようと(乗り越えようと)しているのかもしれない。


などと今日考えていた。