怒りや悲しみを乗り越える。

僕の心は、ときどきひどい怒りや強烈な悲しみに襲われることがある。

なぜ身体がこんなふうになってしまわなければならないのか。

なぜ会社をつぶさなければならなかったのか。

なぜこの身体で無職無収入にならなければならなかったのか。

脳出血を起こしてからというものさまざまな怒りや悲しみに襲われてきた。

それを乗り越えるために必要だったもの・・


それは「志」であったと思う。

その志は大きな大きなものである方が怒りや悲しみは薄れたような気がする。



志とは「士(サムライ)」の「心」である。

武士の心とは「武士は食わねど高楊枝」の言葉に尽きると思っている。

つまり「自我を捨てること」でどんなに生活が窮していても

満腹を装って楊枝を使う、つまりどんなに苦しくとも苦しさを見せず

自我を捨て民のために闘うという姿ではないかと思う。

だから「志」とはいわゆる「社会貢献」的なものでなければならないと思う。

そんな志を持つことができれば、自分の怒りや悲しみなんて、

それこそ自我の欲望の塊の結果現れる心のあり方であり、

とてもとても小さなことに思えてくるものだ。

そして志を持つことによって

そんな小さな怒りや悲しみなんて吹き飛んでしまうものだと思う。

僕は自分のあらゆる我欲を自分で満たすことができない身体になってしまった。

その結果、「障害者でも社会に役に立ちたい」という志を持つことができるようになった気がする。

毎日毎日、身体は苦しくて仕方がないけど、ときには生身の人間だから心の中に怒りや悲しみに

襲われることはあるけれど、そんなとき自分の掲げた「志」を思うのである。

そうすることによってどんな怒りや悲しみ小さなモノに感じも沈まっていくのが分かる。

そして僕のの掲げている「志」は

他人から見れば無茶なように思われるかもしれないけれど、

ドン・キホーテのようかもしれないけれど

そして達成できないような志かもしれないけれど、


僕はたとえ達成できなくても、その志を持ち続けることが大切だと思っている。

そして身体障害者ではあるけれど、志に向かって今の自分にできることをただ粛々と

やり続けることが、、

それこそが僕の「生きる意味」であり、生きている証と感じるから・・