希望は志でなければならない

このブログの記事の中で何度も僕は書いてきましたが、

希望とは世の中の状態や身体の状態に関係なく、心の中で持つべきものであると信じている。

人間は人生のなかでさまざまな苦境に出会う。

病気、今回の東日本大震災のような天災、戦争、さまざまな希望など持つことができないように

感じられるような世の中の状態や身体の状態が必ずといってよいほど襲って来る。

そんなとき希望が世の中の状態や身体の状態に依存するとしたら、

人間は希望など持つことはできないではないか。

人間の心の中に持つからこそ、希望を持つことができるのではないだろうか。

希望とは、断じて世の中の状態や身体の状態とは関係ない。

だから「希望の持てない世の中」など存在しない!

これは僕自身が身体障害者となり、会社を破産させ、無職無収入になったという経験から

断言できる。


もし希望が、僕の身体の状態や家計の状況に依存するならば、

僕は今頃、絶望しこの世にいないかもしれない。


そういう意味では希望とは志でなければならないと思う。


希望という言葉を使うと何か「与えられるもの」のような勘違いをするような気がする。

そうではない。自分の心の中に目標として持つべきものだと思う。

だから希望は志でなければならないと思う。

志であれば、世の中の状況がどんなに変化しようとも、身体の状況がどんなに苦しくなろうとも、

志(自分の立てた目標)に近づくためにあらゆる努力をし、あらゆる工夫をするであろう。

その結果として志が達成できるのではないか

その志の道(イバラの道かもしれないけれど)を考えに考え、道が見えてきたとき

それが初めて希望になるのではないだろうか。

僕も無職無収入で半身不随という最悪の状態からなんとかここまで来ることができたのも

自分自身を信じ続けて来ることができたからだろうと感じている。

よくここまで来ることができたものだ。

そして今、僕は3年前とは全く違う新たな志が見えてきたように思う。

その志を達成するためにまた大きな障害が見えてきた。

障害と思えるものは自分が障害と思うから障害になってしまうのだ。

希望と同じである。

そう考えてこれから目指す志も絶対に諦めない心で取り組んで行きたい。

今、九州のS県でいよいよメガソーラープロジェクトが進み始めようとしている。

そのプロジェクト実現のためのファンド組成の手配も準備万端である。

しかし、大きな障害が待ち受けていることは理解している。

その障害とは電力会社(K電力)である。

必ずこの会社とその反対勢力が大きな障害となるであろう。

しかし僕は僕の執念で乗り越えるためのありとあらゆる知恵を出して乗り越えて行きたい。

S県でこのプロジェクトが成功すれば、他の都道府県も間違いなく参入するだろう。

その結果メガソーラーが一気に全国に普及し始めるのではないかと踏んでいる。

そしてさらにこのファンドに海外からのプレーヤー(投資家)がさ参入してくる可能性がある

そうなるとこのような再生可能エネルギープロジェクトが日本経済全体の牽引役になる可能性も

秘めていることになる

今回のプロジェクトが進み始めたことが、例のF原発で大変なことになっている

F県のある企業に伝わり、F県でも同じようなメガソーラープロジェクトを進めたいので


力を貸してほしいという依頼が先週僕に飛び込んできた。

おそらくS県よりも大きな障害が立ち塞がることは目に見えている。

なにしろあの巨大なT電力がバックに控えているのだから、、

だからこそ今回のS県でのプロジェクトは何としても成功させたい。

成功事例さえあれば、たとえT電力であってもあからさまな反対はできないであろうから・・

そんな大それたことに挑む僕自身の心の中の志の根本は、

障害者であっても役に立つ人間であることを証明すること


ただそれだけなのだ。

それが僕の希望であり、志であるから、、

その僕の最終的な希望もしくは志は限りなく健常者に近い身体機能を取り戻し、

もう一度青い海に潜ることだ。

今僕が必死になっているのはそのためなのかもしれない。